【ASIAウオッチャー】ミャンマー民政移管から5年(上) (2/3ページ)

2015.11.3 05:00

 ところが、思いがけず改革が始まる。最初の転機となったのは、テイン・セイン大統領とスー・チー氏の会談が11年8月に行われたことだ。会談の場には、スー・チー氏の父で「ビルマ(現ミャンマー)建国の父」として今も多くの国民から敬愛されるアウン・サン将軍の肖像写真が飾られた。軍政時代には、アウン・サン将軍を敬う行為はスー・チー氏の人気を高めるとの理由から、軍部内でタブーとされていた。

 この会談によってスー・チー氏とテイン・セイン大統領の信頼が深まり、テイン・セイン政権が民主化をすすめるメッセージの世界発信につながった。さらに12年4月1日の連邦議会補欠選挙でスー・チー氏が当選し5月12日に議員に就任したことで、米国を中心とする国際社会のミャンマー制裁網が一気に緩んだ。

 ◆米が制裁緩和

 もともとミャンマーにとって米国は、重要な貿易相手国だった。2000年代の初めまでは米国が最大の輸出相手国で全輸出額の4分の1を占めた。ところが、軍事政権に否定的な米国が03年から経済制裁に踏み切ったため、ミャンマーは輸出の主要市場を失い、大きな打撃を受けた。米国に追随して日本も経済協力を打ち切るなど、追い打ちがかかる。

 テイン・セイン政権が民主化を明確にしたことで米国が制裁緩和に転じ、ミャンマーは世界市場へのアクセスを回復した。日本はインフラ整備などの経済協力を再開、他の国々も関係を見直し、外資が流入した。ミャンマー経済に追い風が吹き始めた。

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