女王は、すでに植民地時代が終わった大英帝国の衰退を目にしながら戦禍からの復興に努め、英連邦諸国や世界各国を積極的に訪問するなど「国民に親しまれる王室」を目指した。
居城ウィンザー城の火災(92年)やチャールズ皇太子とダイアナ元妃の離婚(96年)、翌年の元妃の事故死など数々の苦難に見舞われ、一時は君主制廃止論すら持ち上がった。だが、これを機に女王は改革に乗り出し国庫からの王室費を削減。若い世代へ情報を発信して、さらに国民に身近な王室に変貌させた。
キャメロン首相は「女王陛下の無私の奉仕と義務感は激変する英国と世界を安定させる礎石になってきた」と賛辞を述べた。