外務省は7月24日、外交文書86冊を一般公開した。1960~70年代にかけた、日米繊維交渉や中国の国連代表権問題が中心で、日本の繊維製品の対米輸出規制を話し合う日米繊維交渉が決裂した71年春、ニクソン米大統領が佐藤栄作首相に「失望と懸念をかくすことが出来ない」と、強く非難する異例の書簡を送っていたことなどが分かった。
書簡については「佐藤栄作日記」に記述があるほか、米側で英文が開示されており、存在が知られていたが、日本政府が公開したのは初めて。他の公開文書と合わせ、繊維問題が首脳間でこじれ、日米関係が「戦後最悪」(信夫隆司(しのぶ・たかし)日大教授)のレベルに陥っていく史実が浮かび上がった。
71年7~8月の米中接近、ドルと金の交換停止という2つの「ニクソン・ショック」の際、日本政府は米側から事前通告がなく大混乱した。書簡にある大統領の首相への根深い不信感が、2つのショックがもたらす日米外交危機の引き金になったとみられる。
書簡は71年3月12日付。和訳文が手書きで3ページにわたり記されていた。直前の8日には日本の業界団体が、米側要求とかけ離れた、日本側に有利な繊維製品の輸出自主規制を発表していた。