しかし1499年、フランスがミラノを征服し、公爵を追放・幽閉したため、壁画の部分までは完成せず、1706年に「板張りの間」は、当時、ミラノを統治したオーストリア軍の厩舎(きゅうしゃ)となり、この頃、壁画は白い塗料で塗りつぶされたとみられる。
大部分は修復可能
スフォルツァ城は19世紀末、イタリア統一運動によって、ようやくミラノ市の所有に戻り、文献に基づく調査から「板張りの間」の天井画が発見されたが、壁の部分には白い塗料の上から木の板が張られてしまった。
壁画に関しては、1954年の修復作業で、部屋の北側にある壁の一部に木の根などを描いた絵が発見されただけで、他にはないとされていた。