このときに衝突したのが母でした。「スケートとか言っている場合じゃないでしょ」。そもそも、どうしてこんなことになったのか、母には理解できなかったと思います。実家に戻ってきた当初は、母もとにかく何か食べさせなければいけないと必死だったと思います。
そんな母が、次第に私の気持ちに耳を傾け、最後は受け入れてくれてくれました。「この子と一緒に治していこう」と思い、それまで「食べなさい」と言っていたのが、私に食べれられるものを聞いてくれるようになりました。「豆腐でもヨーグルトでもフルーツでも好きなものを食べるところからやっていこう」。栄養価を気にせず、私にそう言ってくれました。
食べるという当たり前のことができない自分を責めていた私は「母がこんな自分を受け入れてくれた」と胸が熱くなりました。少しずつですが、快方に向かったのはこのことが転機でした。食欲が少しずつ戻り、母が作ってくれた料理を食べる私を見て、母が泣いていた光景は今も鮮明に覚えています。