しかし、これがいかに門外漢の考えだったかを思い知ったのがボリショイ・バレエ団のセルゲイ・フィーリン芸術監督襲撃事件だった。フィーリン氏は1月、自宅近くで顔面に強酸液を浴びせかけられ、失明状態となった。犯行はフィーリン氏の采配のせいで、親しいバレリーナが不遇をかこっていると考えた男性ダンサーが計画した。ボリショイにいるからといってだれもが脚光を浴びられるわけではない。後で酷評されてもまず舞台に立てることが大切なのだ。舞台に立てないダンサーの失望や疑問はさぞ深いだろう。
ましてやダンサーとしての華の期間は限られている。「役の心が本当に分かるようになったときには体が動かず、体が思うように動くときには役の心が理解できていない」とはよくいわれることだ。
卑劣な事件を擁護する気はさらさらないが、まばゆい舞台に潜む影の深さを改めて思い知った。(長戸雅子/SANKEI EXPRESS)