日本海から日本アルプスを自らの足で横断し、太平洋を目指す「トランスジャパンアルプスレース」(TJAR)。全長415キロ、累積標高2万7000メートルを8日間かけて走り切る、世界レベルでも屈指の過酷さといわれる山岳レースに挑戦した弁護士がいる。近内京太さん(43)。「健康のために」と始めたランニングだったが、TJARの存在を知ったことを機に挑戦に目覚め、選考基準が厳しい同レースの出場権をわずか5年で獲得。さらには3位入賞という快挙を成し遂げた。「できないとは思わない。やると決めた以上、最短で達成を目指す」と語る近内さんのマインドの強さはどこにあるのか。
5キロを走るのもしんどかった
――TJARを目指すことになったきっかけは
近内氏:
ランを始めたのは2013年2月。当時担当していた仕事が忙しすぎて、帯状疱疹(ほうしん)を発症したり、健康診断に引っかかったりして、ふと運動でもしようと思い、ハーフマラソン(約21キロ)にエントリーしました。もともとスポーツ経験もあまりなく、最初は5キロを走るのもしんどくて…。わずかな練習で出場したレースはかろうじて完走したものの、タイムは下位10%ほどの2時間半という遅さでした(笑)。その後、女性を含む職場の仲間4人で出場した24キロのレースでは3時間17分とグループで最下位になってしまい、さすがにこれはまずいと、本格的に練習を始めました。
練習は、書店でマラソンのトレーニング本を買ってきて、書いてある練習法を試してみました。なんでも「本」から入る方なんです。皇居を周回(1周5キロ)するランニングを中心に月間150キロほどを走るようにしたところ、成果が出るのが早く、4カ月後にはハーフマラソンを1時間30分ほどで走れるようになりました。
そして同年の夏、家族旅行で京都に行った時に宿泊先の近くに大文字山を通る「京都一周トレイル」を見つけ、朝早く1人で走りに行ってみました。10キロほどの距離でしたが、深い森の緑の美しさ、沸き立つ土の匂い、足裏に伝わる土や木の根の感触、街から山の深みに入っていくときの異世界感などを初めて体験し、すぐに山を走ることに魅了されました。
すぐさま書店に行って調べ、それが「トレイルラン」(トレラン)というものであることを知りました。購入した本に「箱根の外輪山を走れればトレイルランナーとして一人前」と書かれてあったのに触発され、道具を買い揃えて10日後には外輪山の約36キロのルートに挑戦していました。こうして山を走ることの面白さを知り、色々な情報を集めているときにTJARの2012年のレースを収録したDVDを見て衝撃を受け、出場を目指すことを決めました。
――ランを始めてわずか数カ月の出来事ですよね
近内氏:
当時の僕にとってTJARは文字通り想像もつかないものでした。このDVDには3000メートル近い北アルプス・立山の稜線をトップの選手が颯爽と走る姿、暴風雨の中、吹き飛ばされそうになりながら稜線を進む選手の姿などが映されていて、3000メートル級の山の世界を知らない当時の自分にとっては、まるで人が月面を歩いているかのように、異世界なものに見えました。こんな凄いことに自分も一度挑戦してみたいと思いました。
確かに、当時の自分とはものすごいレベルの差がありましたが、自分にできないとは思いませんでした。ただ周りには、おこがましくてとても「TJARを目指す」なんて言えませんでしたが(笑)。
――TJARに出場するには走力以外に豊富なレース経験や山岳スキルも求められます
近内氏:
物事を始めるときはいつもそうなんですが、まずTJARに必要なスキルを最短で習得するにはどうしたら良いのかを考えました。
TJARは、マラソンの基準タイムなど必要な参加要件が細かく設定されていますので、最初は最短でそれを達成し、2016年に出場しようと考えました。しかし、そう単純なものではないことがわかると、途中からはより達成しやすい目標、あるいは少し横にずれた目標を達成していき、走力と経験を上げることで最終的にTJAR出場することをイメージしていました。
そのときどきの興味に応じ、山岳縦走、マラソンのサブスリー(3時間切り)や、100マイルのトレイルレースの完走、トライアスロンの「アイアンマン」レースの完走などを目標にし、達成するといった感じです。TJARは常に心の中に目標として持ちながら、一つずつ最前面にあるタスクをこなすことで自分が成長していくのが楽しかったです。
2015年から米国に留学することになり、2016年の挑戦はあきらめざるを得なくなりました。でも、そのおかげで米国の「ジョン・ミューア・トレイル」や「コロラド・トレイル」といった数百キロのロングトレイルをそれぞれ2週間ほどかけて走り、山岳経験を積むことができました。これもTJARに出場するためのバックボーンとして重要な経験になったと思います。