趣味・レジャー

ヤマザキマリさん「世界一の料理は日本食だ」 国民の舌のスキルが高い (2/3ページ)

 それって実は、私の漫画家としてのスタイルと似ていると思うのです。私の場合は、自分独自のファンタジックな想像をみなさんに楽しんでもらいたいわけではなく、実在した人物や、実際の歴史をうまい具合に自分で調理して「実はこの時代はこんなに面白かった、この人は本当はこんな人だったかもしれない」というふうに、演出を加えて表現をする。私の漫画作品のほとんどはそんな感じです。

 ある意味では、料理人と同じです。だから、日本食に関わる人たちを見ていると、たとえばマグロの持ち味、マグロがどうやって演出されたいかというのを理解しているのが分かる。ただ食べればいいだろう、焼けばいいだろうではない。食材の使命を人間がちゃんと分かり、料理している意味では日本食はすごいなと思います。

 やはり日本では、食材にただならぬリスペクトを感じるんですよね。ただ食べて腹を膨らませればいいのではない、という姿勢がどの国の料理よりも強く感じられる。食材に対し上から目線ではなく、ありがたいというのがある。一口一口から慈しみが伝わって出てくるのが、日本式の「おいしい」なんだと思う。

地域と伝統を重んじるのがイタリアの食

 --イタリアの食文化についてはいかがですか。

 イタリア人は、誰が来てもオープンハンズで、誰でもフレンドリーに受け入れるというイメージが定着しているようですけど、あれは本当に違います。彼らは人間に対して疑い深く、明るくしているけど内心では相手を、時には家族ですら信じていなかったり。様々な不安や疑念も当たり前に抱え込んで生きています。

 やはり、古代ローマ時代以降、他国によって侵略されてきた歴史が長いからかもしれません。イタリアという国家が統一したのはわずか約150年前。その前はすべて自治国家で分かれていましたからね。

 だから、食べ物の呼び名も本来は共通しているのに、たとえば「ズッパ・ディ・ペッシェ」という魚のスープは、地域によっては呼び名が全然違うんです。要するにズッパ・ディ・ペッシェじゃん! と言うと、「うちではカチュッコ(トスカーナ州での呼び名)っていうんだよ」と訂正する。そこは曲げない。

 トマトも、地域や形状によっての使い分けがはっきりしている。うちの姑のように市販のものは信用できないと、自分の家で栽培したものしか使わない人もいます。一概にトマトといっても、サラダやトマトソースに使う品種はそれぞれ違うのです。

日本人は「情報」も含めて食べている

 日本は鎖国の経験も長かったし、島国という地理的条件もあって、海外からの色んな情報を常に強く欲している傾向があるように思えます。だから情報文化が発達するのと同じで、食べ物も情報文化がつないで生まれた一つの多様性なんじゃないですか。「世界の各地を訪れることは難しいけど、向こうから入って来るものはいただくよ」みたいな感覚はあるんじゃないですかね。

 --日本人は料理より、情報そのものを味わっているように見えます。

 確かに、「みんながおいしい」と言っている時点で、実際に食べる前から自分の中の「おいしい」が2割ぐらい増していると思いますね。あとの8割は周りの雰囲気だったり、一緒に食べている仲間だったり、そして実際の味覚、という配分になるんでしょうかね。

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus