『テルマエ・ロマエ』などの作品で知られるマンガ家のヤマザキマリさんは、「世界で一番おいしい料理は日本食だ」と断言する。17歳でイタリアに留学してから、35年間、世界各国を旅してきたヤマザキさんが、そこまで言い切る理由とは--。
日本特有の「食材を慈しむ」感覚
--パスタ嫌い、トマトが苦手、コーヒーは飲めない。新著『パスタぎらい』では、イタリアに住んでいるとは思えない驚きの告白をつづられています。代わりに渇望する食べ物はラーメン、おにぎり、スナック菓子。どうして日本の食文化が世界一だと思うようになったのですか。
イタリアでは絵に描いたような貧乏画学生でしたから、毎日パスタしか食べられなかったんです。スパゲティなどのパスタ類はコストが安いので、1袋500gが50円とか60円で売っている。一番たくさん食べたのは「アーリオ・オリオ・エ・ペペロンチーノ」(塩コショウとニンニクを加え、オリーブオイルをかけたパスタ)。
日本では、おしゃれなパスタ料理みたいに思われていますけど、あれっておかずが何もない素うどんみたいなもの。それでやり過ごした時間が長すぎちゃって。
今までも、食べ物のみに特化した文章を書いたり、漫画で表現したいと思ったことはありません。たとえば『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)の中で、ルシウスがギョーザを食べるシーンがありますが、あのようにストーリーの本筋の伏線として食べ物や味覚の表現を描いたことはあります。
でも、食べ物にだけ焦点をあてて、食べ物についてあれこれ表現してみたいと感じたことはなかったですね。私は、いわば美食家というわけではありませんから。
ところが、こうして自分の個人的食事や世界での食経験を辿ったりしながら文章にしていると、食べ物越しに広くて深い世界が見えてくることに気が付きました。食べ物を通すと、ある意味でその国の社会や歴史、精神世界をすごく伝えやすい。一つの比較文化として様々なバックグラウンドが見えてくる。
日本の食文化が1番だと思うのは、まず日本人の味覚の多様性。国民の舌のスキルが高いです。日本食にしたって、日本のごはんほど食べ物への慈しみや敬意、食材に対する思い入れは他ではなかなか感じられません。
私がそれに1番最初に気づいたのは、姑(イタリア人の夫の母)と「白いご飯に塩が入ってない!」と大騒ぎになったとき。
「お米には塩は入れないよ」と私が言ったら「入れなきゃ味が分からないじゃない!」と言う。そして「私たちは入れなくても分かる食文化の人間なの!」とバトルになりました(笑)。ごはん1粒からでも味が分かってしまうという敏感さは本当にやばいですよ。感度というか、クオリティが高すぎる。
日本食と自分の漫画は通じるものがある
日本では色んなところに行くと、「これはあえて何もつけずに召し上がってください」というお店がある。それって、調理人が食の伝達者であり、「育まれてきたものをどうやって紹介しようか」「あなた(食材)の持つおいしさをどうやって紹介しようか」と考えている。