元社畜の中年が「新社会人に贈らない言葉」 私の新人時代は生き地獄だった (2/4ページ)

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 1997年4月1日、私は社会人になった。配属先の部署は、通信サービスの事業部で、営業担当。まったくの希望外だった。

 よく分からないまま、入社式、新人研修が進んでいき、夜は配属先のキックオフに歓迎会。泥酔しなぜか同期と新橋で殴り合いになった。途中の駅で降りてトイレに駆け込み嘔吐。社会人って辛いんだと思った。二日酔いの中、次の日も6時台の中央線に乗るために、ホームに立っていた。

◆新人時代は、生き地獄だった

 新人時代は、生き地獄だった。「僕はここに居てもいいんだ!!!」と『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジ風に捉えるような境地には至らなかった。

 想像以上の実力主義の営業会社だった。売れたかどうかがモノを言う。まったく仕事ができなかった。マナーやスケジュール管理といった基本的なことから、顧客の課題をヒアリングすること、提案書の作成、プレゼンなど、すべてにおいてダメだった。

 営業会議はいつもツメ会。なぜ売れないのかと徹底的に絞られた。いま思うと、愛のあるアドバイスだったかもしれないが。

 なぜか宴会には熱く、芸の準備にも全力投球だった。営業中にコスプレグッズを買い、夜の会議室で練習した。Tバック一丁にも、江頭2:50にもなった。

 毎朝8時から深夜まで働いて心身ともに疲弊していた。終電かタクシーで帰宅する日々だ。電車で帰る日は、寮の近くの中華料理屋で先輩や同期と深夜2時まで「夜の営業会議」だった。日によっては「9時5時」だった。朝9時から、朝5時まで働き、山手線で2周寝て出勤ということもあった。無茶な働き方をしていた。

 ちょうど気晴らしにレンタルビデオで借りた唐沢寿明、鈴木保奈美、江口洋介などが出ているドラマ『愛という名のもとに』を見て、証券会社勤務の営業マン・チョロと自分を重ね合わせ、自殺してしまうシーンに「いつか自分もこうなるんじゃないか」と不安になった。

慰めてもらえると思った私は甘かった