ちなみに、「そうかいオバサン」は筆者の友人の造語である。専業主婦世帯が大半だった時代には、子育てから卒業した「卒母」がいた。ところが、いまや「そうかいオバサン」は全国的に絶滅危惧種と化している。なぜなら多くの「卒母」が「おせっかい」と嫌われるリスクを避けるようになっているからだ。
時間的に余裕のある彼女たちは、地域のゴミステーションでのちょっとした掃除や、小学生の通学路での見守り、あるいは地域の防犯活動などを、結果的に無償で引き受けてくれていた。さらに、泣いている子をあやしたり、ほんのわずかな時間でも子どもを預かってくれたり、経験から出る実践的アドバイスを現役母にする「子守+知恵袋」という役割も担っていた。
しかし現在では「おせっかい」と嫌われることをおそれ、地域活動に力をいれずに、パートや習い事で余暇を過ごすようになっている。
「でかい口たたくなら、俺よりも高い給料を取れ!」
子育ては、本来ひとりでやるものではない。ところが「産んだ責任」という理由で、母親ひとりに押し付けている。もし母親たちに糸電話で「少子化の原因がどこにあるのか?」と聞いたなら、張りつめた糸の先から「ワンオペなら、もう限界!(二度と産むか~!)」という「叫び声」が聞こえてくるだろう。
このことを父親である夫はもっと正面から受け止めなければならないと思う。
家庭生活は、誰かひとりの犠牲、または多大なる献身によって成り立たせるべきではない。これは育児だけでなく、介護でもそうだ。1本の糸で張り続けると、その糸はとても弱くなる。クモが出す糸のように、数種類の糸で暮らしのリスク管理を行わなければ、その家庭はいざというときに、もろく崩れてしまうだろう。