帰国後、24歳で「ユニソン・ワールド」「日本ソフトバンク」を設立。96年には米ヤフーとの合弁でヤフー株式会社を設立した。97年の上場時に公募価格70万円だったヤフー株は2000年2月には約1億6300万円を記録するなど、孫は「ITバブルの寵児」として注目を集めるようになった。
--目標にある程度の目処がついたら、それを遥かに超える目標を立てる。さすれば再度興奮で武者震いしてくる(Twitterより)
--目標が低すぎないか?平凡な人生に満足していないか?(Twitterより)
00年のITバブル崩壊後、01年に「ヤフーBB」で通信事業に本格参入したソフトバンクは、毎年数百億円規模の赤字を垂れ流していた。だが、06年、ボーダフォン日本法人を1.7兆円で買収し、携帯電話事業に参入する。孫は48歳。買収額は当時の日本企業としては最高額であり、「赤字寸前の会社としては高すぎる」と罵られたが、孫にとっては計画通りの「ひと勝負」だった。
--本当の勇気は周到な用意の元に生まれる。用意の無い勇気を蛮勇という(Twitterより)
その後はiPhoneの独占契約などに成功し、ソフトバンクは飛躍的な成長を遂げる。13年には約1.8兆円を投じて米携帯事業3位のスプリントを買収。14年には人型ロボット「Pepper」を発表し、世間を驚かせた。59歳になった孫。計画によれば、次の目標は「60代で事業を継承」である。
--我々の時価総額を5倍にできるという自信のない人は後継者になってもらったら困る(三木雄信『孫正義名語録』)
現在、後継者の筆頭候補は副社長のニケシュ・アローラ。2015年3月期には半年間で約165億円の報酬を支払っている。最後の有言実行はなるか。(※PRESIDENT 2016年7月4日号に掲載)
(伊藤達也=文)(PRESIDENT Online)