まだまだ細胞(?)が元気! 超人エピソード
絵を描くのが好きでデザインの道に進んだ。戦後、三越宣伝でデザイナーを経験してからフリーに。漫画やイラストを中心に、さまざまな仕事をした。インタビュアーや舞台美術と構成、映画やドラマのシナリオ執筆、詩集出版、アニメーションのキャラクターデザイン…。昭和44年、自身が手掛けたラジオドラマを基にした初の絵本「やさしいライオン」を出版。このヒットにより描いたのが、「あんぱんまん」だった。
紆余曲折の上、たどり着いた道。それでも当初は作品への思いを貫けなかった。「ばいきんまんを、もっと悪者にしろ、とかね。いろいろあったな…」。制作者の意向に合わせ、手直しをしたこともあったという。
だが作品を重ねるうちに分かったことがある。「まず良い物を作る。そうすれば自然に利益は上がるんだ。先にもうけを追っちゃダメ。大衆は正直だからね」。スタジオジブリの成功の理由はそこにあると考える。ある製菓会社が、厳しく素材を選別し、納得のいくもの以外は製品にしないという真摯な商売から、成功の秘訣を学んだ。