バレーメトロ(1)和気あいあいの車内で何が!? 突然起こった流血の大騒動
江藤詩文の世界鉄道旅ご存じのようにアメリカは、ニューヨークといった一部の大都市を除きだいたいはクルマ社会だ。滞在していたアリゾナ州フェニックスもそう。空港とダウンタウンの真ん中あたりに位置する私のホテルの周辺には、何もない。外気は35℃を超え、クラクラするほど強烈な陽射しが照りつけている。レセプショニストのサンドラさんいわく、徒歩で行ける範囲にあるのはコンビニエンスストアのサークルKのみ。スタッフは自家用車で通勤し、たまにホテル=空港間を定期運行している無料のシャトルバスを利用して、空港までランチをとりに行くという。しかし「空港のオススメは中国料理のファストフード」と聞き、行く気が萎えた。
けれどもフェニックスには、2008年に開通した地域交通システムのライトレール「バレーメトロ」がある。アリゾナ・ダイヤモンドバックスの本拠地チェイス・フィールドやフェニックス・サンズの本拠地アメリカ・ウェスト・アリーナを通りセントラルアベニューへ向かう便利なルートで、乗車料金も安い。
「メトロなんて自家用車を買えず、キャブにも乗れない人が使うもの。Uberにしなさいよ」というサンドラさんに従って、スーパーマーケットへ行くのにわざわざUberを頼んだが、日用品を買うだけなのにこのコストはちょっと馬鹿らしい。見かけた「バレーメトロ」は新しくピカピカ輝いていて、帰路はこれを利用しようと心を決めた。
「バレーメトロ」は2両編成で、乗り込んだ車両の座席は8割ほど埋まっていた。小さな子どもと若いお母さん、全員が大きなシェイクを抱えた太ったファミリー、穏やかにスナック菓子を分け合う老夫婦。ひと際目立っていたのはクリス・タッカーみたいに高い声で早口に喋りまくる黒人男性だ。楽器を持った白人男性グループが、音楽を奏でながら黒人男性と談笑している。う~ん、アメリカらしい自由な光景だ。だだっ広い風景が続く車窓を眺めていると、突然車内が色めきたった。何か口論になったようで、黒人男性が降車がてらに白人男性の顔を殴ったのだ。床には血が飛び散っている。興奮した人々が大声の早口で口ぐちに何かを言い合うが、こうなると私の英語力では正確に聞き分けられない。白人男性がジャケットの下に手を入れると、小さな悲鳴が響いた。彼が出したのはブルーのハンカチだったのだけれど、私は女の子を連れた若いお母さんに小突かれるようにして、慌ててメトロを降りた。
■江藤詩文(えとう・しふみ) 旅のあるライフスタイルを愛するフリーライター。スローな時間の流れを楽しむ鉄道、その土地の風土や人に育まれた食、歴史に裏打ちされた文化などを体感するラグジュアリーな旅のスタイルを提案。趣味は、旅や食に関する本を集めることと民族衣装によるコスプレ。現在、朝日新聞デジタルで旅コラム「世界美食紀行」を連載中。ブログはこちら
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