海外の富裕層が押しかける「がん診療所」 ほとんどの日本人が知らない理由

 

 関西国際空港の近くにある病院を目指して、わざわざ海外からやって来る人が増えている。病院名は、IGTクリニック。がん治療専門のクリニックに、なぜ外国人の患者が増えているのか。その理由は……。[窪田順生,ITmedia]

 4月、関西エアポートは2016年度の「関西国際空港」の総旅客数が2571万人と過去最多を更新し、そのうち外国人が13%増の1242万人とこちらも2年連続で過去最高となったことを発表した。

 これが「訪日外国人観光客」のおかげであることは言うまでもない。

 例えば、日本を代表する国際観光エリア、京都は2015年の外国人宿泊者数が前年比170%と爆発的に増えており、日本人観光客から不満の声があがるほどの混み具合となっている。マーケティング会社のRJCリサーチとナイトレイが訪日外国人観光客のSNS発信地を調べたところ、USJが東京ディズニーランドを抑えて、最も多かった。USJ入場者数が過去最高1390万人を突破したのも「訪日外国人観光客増」の追い風があることは容易に想像できよう。

 関空はそんな外国人で溢れかえっているが、実は今、その外国人の中で京都はおろかUSJや道頓堀に見向きもせずに、関西国際空港駅から電車で約5分の「りんくうタウン」を訪れる人々がじわじわと増えてきているのをご存じだろうか。

 彼らが目指す先は駅から徒歩5分ほどのところにある「IGTクリニック」というがん治療専門のクリニック。ここで行なわれている「動脈塞栓術」というがん治療を受けたいという海外の富裕層や、その技術を学びたいという外国人医師がまさしく世界中から集まってきているのだ。

 「そんながん治療は聞いたことがないぞ!」「WELQ的な似非科学なんじゃないの?」といぶかしむ方も多いだろうが、動脈塞栓術は、日本の医師が1982年に発表し、世界に広まった画期的な肝臓がんの治療法「肝動脈塞栓療法」(TAE)を他のがんに応用した医療技術である。ちなみに、TAEは国立がん研究センターのWebサイトでも紹介されている。

 そんな動脈塞栓術の第一人者で、この15年間で、乳がん、肺がん、胃がん、肝臓がんなどで1万件超の治療実績を誇っているのが、このクリニックの院長を務める掘信一医師なのだ。

関空に世界中からがん患者が集まる

 「1万件の実績」と聞いて、動脈塞栓術に興味を抱いた方も多いだろう。そこで、5月26日に発売される掘医師の初めての著書『なぜ関空に世界中からがん患者が集まるのか?』(宝島社)の中に、この治療法について端的に説明してあるところがあるので引用させていただく。

 『「動脈塞栓術」とも呼ばれるこの治療は、非常に細いマイクロカテーテルという器具を血管内に通して、がんの塊に向けて抗がん剤を直接送り込むと同時に、がん細胞が栄養を受け取る血管を極めて小さな「塞栓材料」というもので「蓋」をしてしまうという治療です。

 がん組織への血管を蓋で塞いでしまうことで、少量の抗がん剤で効果的に治療ができるうえ、がんへの栄養補給路も断つことができます。わかりやすくいえば、がんに対して「兵糧攻め」を行うのです。』(P10)

 ご存じのように、抗がん剤を用いた「全身化学療法」は重い副作用がある。その辛さは筆舌に尽くしがたいものがあり、がん患者のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)を大きく損ねるが、動脈塞栓術の場合は「全身化学療法」の10分の1程度の量で済むため、副作用が少ないのはもちろんのこと、薬にかかる費用もかなり少なく抑えられるメリットがあるのだ。

 また、マイクロカテーテルという細い管を脚のつけ根の動脈に差し込むだけなので、お腹や胸にメスを入れるなどの手術が必要ない。ほとんどの患者は1回の治療で2泊3日の入院で済むため、外国人の場合はすぐに飛行機で母国へ帰ることができる。つまり、副作用的にも、経済的にも、そして身体的にも負担が少ないがん治療と言えるのだ。

 いやいや、いくら負担が少ないからっていても、がん治療なんだからそれなりの効果がなくちゃなんの意味もないだろ、という声が聞こえてきそうだが、効果に関しても目を見張るものがある。

 実は筆者は掘医師の執筆のお手伝いをさせてもらった関係で、1万件の実績の中で、いくつかの治療経過を拝見した。他の病院でがん免疫チェックポイント阻害薬という新しいタイプの治療薬を用いてもなかなかいい結果がでず、「余命3カ月」を宣告されるほど大きくなったがんが、堀医師による動脈塞栓術を受けた途端に半分程度に縮む、というようなケースを無数に目にしている。中には、「兵糧攻め」によって、がんがほとんど消えてしまうようなケースもあった。

動脈塞栓術は問題をはらんだ治療法

 なんて調子で動脈塞栓術を持ち上げるような話ばかりを聞いていると、おそらくこんな疑念が浮かぶことだろう。

 「そんなに素晴らしい治療法なら日本中に普及してもっと知られているはずだ。国立がん研究センターや有名な大学病院で当たり前のように行なわれていないということは、きっとなにか問題がある治療法に違いない」

 その疑念はある意味で正しい。この動脈塞栓術は患者の負担も少なくて、効果もあるのだが、実はいくつかの大きな「問題」を抱えた治療法でもあるのだ。まず1つは、「誰でもできる治療法ではない」ことが挙げられる。血管内にマイクロカテーテルを通して、正確にがんの周辺にたどりつくには、ミリ単位の繊細の技術を要する。 このような「職人技」は一朝一夕で身に付けられるものではなく、堀医師も若いころから欧州で修行をしたり、長い経験の中で習得している。

 また、マイクロカテーテルを通すためには体内の血管1本1本を正確に把握しなくてはいけないので、CTと血管造影装置を組み合わせた億単位の高額な医療機器が必要となる。

 つまり、IGTクリニックで行なっている治療を、他の病院でやれと言われても、いきなりできるようなものではないのだ。

動脈塞栓術が普及しなかった原因

 「国民皆保険制度」という共産主義的な医療システムが根幹にある日本では基本的に、北は北海道から南は沖縄まですべて同じ質の医療を提供していなくてはいけない、ということになっている。堀医師に動脈塞栓術をしてもらった患者と、他の医師に動脈塞栓術をしてもらった患者の、結果が異なるというのは「すべての国民が安くて質の高い医療を受けられる」という基本理念を掲げる日本の医療政策的に絶対にあってはならない話なのだ。

 ただ、そのような「問題」もさることながら、動脈塞栓術とういものを、我々一般人がほとんど知らないのは、もうひとつ大きな「問題」がある。数年前、ある学会で堀医師が動脈塞栓術を用いてがん治療をした結果を発表しようとしたところ、学会の座長がこのように紹介したという。

 『皆さん、よく聞いてください。今から行われる発表は、私たちの学会でつくられたガイドラインから大きく外れるものです。その点をよく念頭に置いたうえで、今からの演題を聞いてください』(P64)

 ご存じの方も多いと思うが、医師はそれぞれの専門領域の学会がつくる「診療ガイドライン」に基づいて診療をしているのだが、動脈塞栓術はそのガイドライン的にアウトとされているのだ。

 例えば、堀医師は動脈塞栓術で乳がんを多く治療しているが、乳がん学会の診療ガイドラインでは、動脈塞栓術は「D」(推奨しない)となっている。つまり、堀医師は学会が認めていない治療をやっている「異端の医師」なのだ。

 そのような治療をテレビや新聞で大きく取り上げられるわけがない。大多数の医療関係者からは「患者を誤解させるよう怪しい話をふれまわるな」とか「WELQみたいな似非科学報道しやがって」と怒られる。どんなに回復したという患者がいても、それを声高に伝えるリスクが高すぎる。

 つまり、我々が「動脈塞栓術」の存在すら知らないのは、この治療が白い巨塔的に「タブー」だからなのだ。

 この現状を、堀医師はこのように述べている。

 『動脈塞栓術が十分に普及してこなかった原因のひとつは私たちにあります。十五年以上も動脈塞栓術で患者を治療してきたにもかかわらず、目の前の患者さんの治療に専念するあまり、論文や学会での発表を疎かにしてきたのです』(P59)

堀医師が「異端の医師」でなくなる日

 ちょっと前、製薬会社が降圧剤の「効果」をうたうため、大学病院で行なわれた医師主導臨床研究のデータをいじった、いじらないと大騒ぎになったように、医療の世界では論文や学会での発表がすべてである。いくら目の前にいる患者のがんを小さくしても、「エビンデンス」(科学的根拠)がなければ「たまたまでしょ」という扱いで、全国の医療機関に普及することがない。

 だからこそ、IGTクリニックに世界中から、治療を求める外国人がん患者や技術を覚えようという医師が集まっていることは、長い目で見ると日本のがん患者にとっても喜ばしいことなのだ。

 症例が積み重なることはもちろんだが、海外で医療情報が交換され、「堀学校」の卒業生が海の向こうで論文や学会発表をする。海外で認められれば、日本国内の医師たちも認めざるを得ない。そうなれば、ガイドラインでの評価も最低ランクの「D」から「C」(推奨するだけの根拠が明確ではない)くらいに上がる。それはつまり、全身化学療法、切除手術、放射線治療に続く「第4の選択肢」ができるということなので、がん治療で苦しむ人々の「可能性」が広がるというわけだ。

 堀医師が「異端の医師」でなくなる日もそう遠くないのかもしれない。

窪田順生氏のプロフィール:テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者、月刊誌編集者を経て現在はノンフィクションライターとして週刊誌や月刊誌へ寄稿する傍ら、報道対策アドバイザーとしても活動。これまで100件以上の広報コンサルティングやメディアトレーニング(取材対応トレーニング)を行う。

 著書は日本の政治や企業の広報戦略をテーマにした『スピンドクター "モミ消しのプロ"が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)など。『14階段--検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)で第12回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。