「ゴキブリテロ」撒き散らすならスーパーしかない 理解不能だった女の“善意”
【衝撃事件の核心】
生き物の「命」を大切にする。そんなすばらしい思いも行きすぎると、身の毛もよだつ事件に発展することがあるようだ。今夏、神戸市のスーパーマーケットにゴキブリ十数匹をまき散らしたとして、市立小学校事務員の女(56)が威力業務妨害容疑で兵庫県警に逮捕された。女の目的はただ一つ、ゴキブリに生きてもらうこと。ゴキブリの生育環境にスーパーが適していると考えたのだという。だが、スタッフ総出で駆除に追われた店側の迷惑ははかり知れない。インターネット上で「テロ」とも指摘された事件。女がなぜそこまでゴキブリに愛着を抱くのか、捜査関係者も首をひねるばかりだ。
うごめく黒い物体
「あのときのことは、もう思い出したくないんです」。被害にあった神戸市垂水区のスーパーで働く男性店員は、うんざりした表情でそうつぶやくと、それっきり沈黙した。
6月26日午後11時20分ごろ。閉店を10分後に控えたスーパーでは、店員がレジ閉めや清掃などの作業に追われていた。客もまばらとなり、何事もなく営業時間が終了しようとしていたはずが、店員の一人が異常な気配に気づいた。
入り口のドアから最も奥まった場所にある生鮮食品コーナー。その床に、無数の黒い物体がうごめいていた。脇には不審な白いポリ袋。のぞき込むと、何匹ものゴキブリが入っていた。床にいた黒い物体の正体は、衛生状態を保つべきスーパーにとって“大敵”のゴキブリだったのだ。
「店内にゴキブリをまかれました」
騒然となったスーパー側はあわてて110番。県警垂水署員が駆けつけると、店員らが総出で店内をはいずり回るゴキブリの捕獲作業に当たっていた。その数、実に十数匹。署員は店員から証拠物として、逃げ残ったゴキブリ3匹が入ったポリ袋を手渡された。
翌27日。スーパーは専門業者に依頼してゴキブリの駆除や店内清掃を行い、通常通り営業を再開。警察に被害届を提出した。
ある捜査幹部は「生きたままのゴキブリをまき散らす事件なんて聞いたこともないし、正直気味が悪い。スーパーはもちろん、捜査員もさぞかし苦痛だっただろう」と同情を隠さない。
スーパーは餌の宝庫?
誰が何のためにゴキブリをまいたのか。その謎は間もなく明らかになった。
店内に設置された防犯カメラの映像に、袋を手に店内をうろつく中年の女の姿があった。女が袋を床に置いた瞬間、ゴキブリが次から次へと袋から飛び出し、店内に散らばっていく様子も写っていた。
ところが、女は騒ぎを起こしながらも、その後も懲りずにスーパーに通い続けていた。
防犯カメラの映像をチェックしていた店員らは、映像と酷似した女が来店するたびに県警に通報したが、女は捜査員が姿を現す前に素早く買い物を終えて店から立ち去っていた。
“いたちごっこ”が始まって約1週間後の7月4日午後8時ごろ。ある店員が買い物をしていた女を見つけ、「ゴキブリをまいた人が来ている」と通報した。駆けつけた捜査員がようやく職務質問に成功。女は家から袋に入れて十数匹のゴキブリを持ち込み、店内にまいたことを認めた。
「ゴキブリを殺すに殺せず、逃がしてあげようと思った。逃がすなら餌がたくさんあるスーパーしかないと思いました」
同署は翌5日、女をスーパーの衛生状態を悪化させるなどしたとする威力業務妨害容疑で逮捕。その後、女は釈放され、任意での捜査が続いている。
スーパーに恨みなし
スーパーにゴキブリをまくという犯行態様からは、スーパーへの恨みを晴らすために何らかの嫌がらせを企てたと考えるのが一般的だろう。
しかし、女は調べに「スーパーへの恨みはなかった」と供述した。あくまでゴキブリの命を守るための犯行だったとの説明を真剣に繰り返し、「悪いことをしたという自覚がまるでない状態」(捜査関係者)なのだという。
では、十数匹のゴキブリはどのように集めたのか。
同署などによると、女は自宅でネコを約10匹飼育しており、「ネコの餌に群がっていたゴキブリをスーパーに持ち込んだ」と説明している。
ネコに餌を与える際、容器の代わりにポリ袋を使っていたといい、袋の中にゴキブリが集まっているのを見て「生かしてあげよう」と決意。そのままゴキブリが入った袋の口を押さえてバッグに突っ込み、スーパーに持ち込んだらしい。
ゴキブリが無数にわく家というだけでおぞましさを覚えるが、近所では「ごみ屋敷」での暮らしぶりが話題になっていた。
女はスーパーから約2キロ離れた民家で一人暮らし。もともと両親と姉との4人暮らしだったが、母親を亡くすなどして5年ほど前から一人になると、奇行が目立つようになった。
郵便受けの中に飲みかけのペットボトルがあふれていたり、飼いネコの糞尿を始末せずに悪臭が漂ったりしたことも。70代の女性は事件を受けて「きっと家の中もガサツだったと思う」と推測した。
一方、近くに住む男性(83)は「おとなしい性格で、わざと事件を起こすようなタイプには見えなかった」と話した。
「模倣犯が出たら…」ネット騒然
捜査関係者も現段階で、女がスーパーを攻撃するという悪意ではなく、ゴキブリを生かしたいという一般感覚とはかけ離れた“善意”から事件を起こしたとする見方を強めている。
これに対し、インターネット上では、「ゴキブリは反則だろ。悪質なテロだ」「模倣犯が出たらどうしよう」と戦慄(せんりつ)するコメントが多数噴出した。
その半面、「根は優しい人なのかも」と同情する意見もあり、脳科学者の茂木健一郎氏も「刑事的なアプローチよりも、心のケアをしてさし上げた方が良いような気がします…」とツイッターに投稿した。
犯罪心理に詳しい新潟青陵大の碓井真史教授(社会心理学)は「ゴキブリもネコも関係なく、生き物の命に対するこだわりが強い人なのだろう。ゴキブリが生きるための食料はどこにでもあるのに、スーパーに放すしかないと考えること自体滑稽(こっけい)なのだが、女にとっては普通のことだから事件が起きてしまう。常識にとらわれず、自分のこだわりは実行しないと気が済まないという心理的特徴があるのではないか」と分析する。
その上で、そうした特徴は現代社会でストーカーやごみ屋敷の問題にも通じるところがあるとし、「常識で考えることができない人に対しては、周囲がどう支援していくのかが課題になる。女も一人暮らしだったことから、孤独感にさいなまれてネコを集めたり、ゴキブリの命を大切にしたいという発想になったりしたのかもしれない」とした。
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