ヒトの細胞でつくった日本初の難病治療薬 “セレブの街”芦屋で先端医療
ヒトの細胞を使って製造した日本初の医薬品が、厚生労働省から製造販売の承認を取得した。昨年11月の医薬品医療機器法(旧薬事法)施行後、初めて再生医療製品で承認を得たのは兵庫県芦屋市の中堅製薬会社、JCRファーマだ。人工多能性幹細胞(iPS細胞)などの研究で世界をリードする大学や研究機関が集まる関西で再生医療や細胞治療の裾野が広がっている。(阿部佐知子)
ヒトの細胞が医薬品に
同社が製品化したのは、骨髄移植後に起こる重い合併症、急性移植片対宿主病(GVHD)の治療薬で、年明けにも発売する予定。GVHDは重症化すると皮膚の発疹や肝臓機能障害、下痢、嘔吐だけでなく、さまざまな感染症を引き起こし、7割が死亡するとされる。
現在は免疫抑制のためステロイド剤が投与されているが、約半数のケースには効果が十分でなかった。新しい医薬品は、このステロイド剤で症状がよくならない年間約600人の患者の治療で効果が期待されている。点滴で投与し、合併症の原因となる過剰な免疫反応を抑えるという。同社の臨床試験では、重症患者の生存率が3割程度から6割程度になったという。
画期的なのは効用だけではない。治療薬は患者以外の健康な人の細胞から製造する日本初の「細胞性医薬品」なのだ。
用いるのは、骨髄から採取した、さまざまな細胞に分化する間葉(かんよう)系幹細胞。幹細胞は、炎症を抑え、細胞を修復する機能があるほか、患部に集まるという特性がある。治療ではこの薬を点滴で投与することで、GVHDの原因となる過剰な免疫反応を抑える効果があるという。
製品化したのは芦屋の中堅製薬会社
大阪・梅田から阪神電気鉄道で神戸方面へ、特急と各駅停車を乗り継いで約20分。阪神打出駅を降りてすぐ、細い路地に同社の本社がある。
昭和50年創業、従業員約450人。細胞の培養技術などを利用したバイオ医薬品の開発を得意とする中堅製薬会社だ。「研究所は神戸市郊外に別にあるが、本社が芦屋で不便と感じたことはない」と芦田信社長は言い切る。
同社が実用化に乗り出したのは平成15年。芦田社長の知人だった米国の製薬会社社長が来日した際、開発の初期段階だったこの細胞性医薬品について聞いたのがきっかけだった。
まだ再生医療や細胞治療などは実用化どころか、情報もほとんどなかった時期だったが、同社の研究員が興味を示した。研究員を米国に派遣し、医学界の権威に話を聞くなどしたが、芦田社長は「確かにおもしろいが、薬にするのは大変だとみんなに言われた」と打ち明ける。それでも、そこは中堅企業ならでは。芦田社長が「おもしろそうだ」と判断し、米国の製薬会社から日本での製造・販売などの権利を取得。初期のアイデア段階から具体的な製品化を目指し、臨床試験(治験)などを進めることになった。
製品化に向けた研究は当初から苦労した。開発担当の立花克彦専務は「ヒトの細胞を使うということへの抵抗が強かった」と振りかえる。
まず再生医療などへの理解の不足から臨床試験を受ける患者がなかなか集まらなかった。それでも10年以上かけて研究を続け、製品化に成功。昨年9月に厚労省に承認を申請していた。
日本初の細胞性医薬品は骨髄移植を手掛ける約200病院を対象に、来年1月からの販売を目指す。
立花専務は「幹細胞を使った医薬品の仕組みは、ほかの病気にも応用できる可能性がある」と説明し、今後の研究成果にも期待を込める。ヒトの細胞がこれまで治療が難しかった病の治療薬になるのか。再生医療先進地、関西の中堅製薬会社の今後の展開も目が離せない。
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