東日本大震災の発生当時、福島支店長を務めていたNTTの渋谷直樹副社長。NTT東日本の副社長時代には農業や産業のデジタル化やテレビゲームで競うeスポーツの振興など、新たな地域事業を主導した。その原点にあるのが震災だ。「利益がどうというより、社会にどう役立つか。経営者としてこの経験は切り離せない」と語る。
--通信は重要な生活インフラ。災害からの復旧はNTTの使命だ
「災害対策の拠点は支店から数百メートル離れた別のビルだった。カバン1つだけ抱えて向かった。192カ所の電話局のうち3分の1近くが停電していた。福島では県庁の耐震対策ができておらず、立ち入り禁止になった。隣接施設で対策本部を立ち上げるために電話回線の開設作業も並行していた」
--地震から約1時間後に津波到来。これまでにない判断が求められた
「テレビの報道などでは、宮城、岩手の方が被害が大きいといわれていた。復旧で他県の応援は頼ることはできないと思っていた。台風災害などの対策の経験から社員に無理をさせては続かないと、翌日から輪番態勢を敷いた。食事と水、ガソリンなどの資材を調達しようとしたが、2週間くらいは風呂にも入れなかった。最初の情報は小さめに伝わってくるとわかっていたが、それでも甘くみていたところがあった」
--そして原発事故が起こった。先の見えない戦いが始まった
「福島第一原発から約10キロの富岡町に周辺の電話局を束ねる親局があった。この拠点を死守するために従業員が向かっていた。その最中に原発が爆発した。しかし、通信が途絶え、連絡を取ることができなかった。たまたまその人がラジオを聞いて、自分の判断で戻ってきてくれたが、通信の重要さを痛感した」
--立ち入りができない警戒区域内での作業は困難を極めた
「富岡町の施設の復旧が最優先だった。電話局の復旧には、電力会社と電話、インターネット担当の混成チームでやる。(東北電力管内だが)やってきたのは東京電力の方だった。『われわれの責任ですから』と。立ち入りが許可されるまでの1カ月間、訓練を重ねた。しかし、区域内での作業は3時間。窓際に衛星電話を置き、福島支店や東京からの指示を受けると、少し離れた作業現場まで社員が走って伝えた」