□設楽丘社長
■サービス・満足・サポートにこだわり
--どんな学生時代だったのか
「バブル全盛期だった高校3年のとき、『こんな異常な状況がいつまでも続くはずはない。東京を出よう』と考え、卒業したら就職しようと担任に相談したところ、『就職希望者はお前1人だけ。とりあえず専門学校へ行け』とアドバイスされた」
--専門学校を卒業した後は
「宇都宮市の測量系の会社で6年働き、次に前橋市の商社で働いてノウハウを学び、起業する準備をした」
--なぜ前橋市で起業を
「人口が4300万人もいる関東を出るのは得策ではない。北関東で起業しようと決めていた。妻の出身地だったこともあり、前橋市で起業した」
--群馬県はどうだった
「人がのんびりしていて、居心地が良かった。もし東京で起業したら競争も激しかったろうし、慌てずにじっくりと仕事に取り組めず失敗していたかもしれない。亀のような歩みだったかもしれないが、質の高い仕事ができたと思う」
--変わった社名だが
「日本で唯一の名前。独立する1年前から決めていた。サービス(Service)・満足(Satisfaction)・サポート(Support)など『S』にこだわる仕事がしたかった。起業する直前まで、同じ名前の会社が出てこないか心配していた」
--群馬県民の悪いところは
「郷土愛が強すぎることか。他県に進出すれば、いくらでも仕事があるので、営業所を作るから、誰か常駐してくれないかと声をかけても誰も手を挙げない(笑)」
--社員に求めることは
「興味のあることには分野を問わず、どんどんチャレンジしろと声をかけている」
--自分の子供が会社を手伝いたいと言い出したらどうする
「あり得ないこと。もしそうなったら、私が出ていくだろう」
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