これは職人としての使命だ 被災地で大活躍、元祖「パンの缶詰」を作った男 (2/6ページ)

 09年には若田光一が国際宇宙ステーションに長期滞在する際、パン缶を持参して、乗組員の間で取り合いになるほど人気だった。

 「宇宙に持って行ってほしいとずっと働きかけていて実現したのです。若田さんが“スペース・ブレッド”と呼んでくれたのはうれしかったですね」と秋元は笑う。

 栃木県那須塩原市の田園地帯に本社を構える同社では、地元のホテルや旅館などに納める一般的なパンも作っている。現在では売り上げの4割が普通のパンで、残り6割はパン缶が占めるようになった。

 20カ国を支援する「救缶鳥」プロジェクト

 11年の東日本大震災では、那須塩原市も震度6弱の揺れに襲われ、大きな被害を受けた。パン・アキモトの工場も一部機械が倒れるなど操業に支障が出たが、秋元社長は真っ先に被災地に在庫のパン缶1万5000缶を運び、すべて無償で提供した。

パン・アキモトの秋元義彦社長(PRESIDENT Onlineより)

パン・アキモトの秋元義彦社長(PRESIDENT Onlineより)

 その後、取引先に要請して、7000缶を寄付してもらい、それも被災地に届けた。さらに、仲間に呼びかけ、300万円を集めて材料を調達し、1000万円分のパン缶を送った。取引先への納入は後回しだったという。

 福島原発事故では、風評被害で地元のホテル・旅館から客がいなくなった。パン・アキモトも通常のパンの注文が半減し、経営が苦しくなった。それでも秋元は支援をやめず、パン缶を被災地に送り続けた。

わが身を捨てて支援、次第に伝わっていった思い