3日夕、築地場外市場(東京都中央区)の老舗ラーメン店を火元とする火災があった。完全に鎮火したのは翌日の朝。新大橋通りに面した、比較的開けた場所にもかかわらず、消火作業は難航。長い時間にわたって黒煙を吐き続けた。
この火事を受けて今一度考えたいのが、築地市場の豊洲移転問題だ。今は小池百合子都知事が掲げる「豊洲移転、築地にも市場機能」で進みつつあるが、もう一度、「豊洲完全移転」について考え直すべきではないだろうか。
このことを考える上で、2つの歴史を振り返りたい。
まず1つ目の歴史。現在の築地市場は、長年にわたる猛反対を乗り越えて生まれた市場であることを確認しておきたい。中央区日本橋の日本橋川沿いこそが、江戸幕府が開かれて以降、魚河岸が置かれていた場所。ここには卸売り事業者がひしめいており、明治以降は安全面・衛生面の問題が頻発していた。明治政府と東京市は、民営市場だったものを官営化し、移設しようと試みたものの、既得権益を守ろうとする事業者の猛反対によって前進することはなかった。