午前10時前、石油列車が郡山貨物ターミナル駅に入線した。遠藤さんは時計に目をやった。約3時間の遅れだった。やり遂げたという思いとともに、停車の悔しさも込み上げてきた。駅にはテレビや新聞など報道陣が集結している。カメラのレンズが運転席を狙い、盛んにフラッシュがたかれた。
◆「次こそは」誓う
JR貨物郡山総合鉄道部の幹部が運転席に声をかける。「ご苦労さんだったね。無事に運べて良かった、良かった。ところでマスコミが運転士のインタビューしたいっていうんだけど、どうする」。遠藤さんは「ごめん、なんか遅れちゃったし、そんな気分じゃないんだよね。すんません」。運転席にこもったまま、遠藤さんは目を閉じた。停車までの手順に誤りはなかったか、ノッチやブレーキの操作、速度を思い返した。石油輸送は明日以降も続く。次こそは時間通りに石油を運ぶ。そう誓った。
3月27日早朝、会津若松駅長の渡辺さんは、磐越西線の翁島駅付近を歩いた。昨日朝、石油列車の初便が走行不能となった場所はすぐに分かった。苦闘を物語るように、レールには車輪の空転による幾筋もの傷がついていた。渡辺さんは氷のように冷えたレールを指でなぞりながら、郡山方面に視線を向けた。被災地の復旧はまだ始まったばかりだ。「はやく通常ダイヤに戻さないとな」