■迫る起業目標期限、思わぬ所から“苦言”
1968年、西ドイツ(当時)から3年ぶりに帰国しました。津田塾大学を卒業するとき、就職できずに10年後に起業すると誓って9年目。あと1年です。
ただ、西ドイツで心残りのことがあって、けじめをつけなくてはと思っていました。西ベルリン・クルフュルステンダム通りに、ドイツ人、韓国人たちが共同経営する、日本の家電をはじめ化粧品や真珠など優れた製品を紹介する展示コーナーが誕生しました。私は頼まれてそれを手伝っていました。ところが、私がつないだ日本企業が提供してくれたラジオやカメラなどのサンプル商品などを持って、韓国人社長が逃げてしまったのです。
◆持ち逃げの責任痛感
私は出資しているわけでも、役員でもありません。お手伝いしただけでしたが、日本企業に出品をお願いしたのは私です。責任を痛感せずにはいられませんでした。念願の起業を始めるという大切な時期に、何の解決もしないまま次に進むことはできないと思いました。
帰国したらまず、その日本企業に謝罪しなくてはいけないと思いました。その1社に日立製作所グループの海外向け電気機器製造・販売子会社、日製産業(現・日立ハイテクノロジーズ)がありました。
同社の下河辺三史社長に面談のアポイントをお願いしても、見知らぬドイツ帰りの女性ですから、なかなか会っていただけない。何度も電話して、あきれ果てたのか、ようやく会うことが許され、事の成り行きを説明して謝罪しました。すると下河辺社長は「そんな話、聞いたこともない」と目を白黒。ドイツに国際電話で確認したら「その話はあるにはあったが、被害というほどのことではなく、そういうことは日常、掃いて捨てるほどあること。あなたが気にすることではない」と。