◆家々に食料分け与え
いつものように母が食料を持ち帰りながらも、「ごめんね、ちょっとだけ待っていて」と通り過ぎていくのです。しばらくして帰ってくると、先ほど見た食料が半分しかない。お米も芋も餅も。同じ町内でお父さんが戦死した家々や、乳飲み子を抱えた家々に、母は回って食料を分け与えていたのです。私は、母のすることを心では分かっていながら、母を許せない気持ちと葛藤しました。母が分け与えていた親子に対して、説明がつかない憎しみすら抱くほどでした。一貫した母の生き方を偽善だとさえ思ったものでした。
それから十数年後、私が大学生になって帰省したときのこと、桑名駅前で、見知らぬ親子に私は呼び止められました。
「この子たちはあなたのお母さまのおかげでなんとか育てていただきました。私たち一家はそのご恩は忘れたことはありません」と深々とお辞儀をされたのです。母が私たちの食料を分け与えていた家族でした。しどろもどろの私は、ただうろたえながらも心の中で、お母さん、ごめんなさい! とつぶやきました。
あの田舎育ちの、尋常小学校を出ただけの母は誰に教わるわけでもなく、本を読んだわけでもなく、娘の心がどんなに暴れても信頼してドンと受け止めてくれていました。「ああ、私は愛されているんだ」という喜び、自信が湧いてきました。母は95歳で亡くなりました。いまだに、こんなに頑張っていてもあの母にだけは生涯かなわないと思う日々です。(聞き手 廣瀬千秋)