■荒れた時代にも揺るがなかった母
終戦間際の大空襲による極限の恐怖体験の中で、子供心ながら、戦争という名の巨大な不条理にやり場のない怒りをおぼえ、絶望感に打ちのめされました。それを誰かに吐き出したい、その荒ぶる思いを最も身近な存在である母、美鶴にぶつけるようになっていきました。
◆絶望感で怒りぶつけ
でも、母は見事でした。火の海の中で、一人でさまよった娘の地獄が分かっていたのでしょう。些細(ささい)なことでも思い通りにならなければ、泣いたり、怒ったりするようになってしまった私を、母はひるむことなく、いつもしっかり抱きしめてくれました。
生家は焼け、着の身着のままで逃げ、日々の暮らしも大変な中、母は何を思ってか、私にお茶を習わせたのです。私の心を鎮めるためです。大人ばかりのなか、頼み込んで入れてもらいました。毎週日曜日に1個だけ母が作ってくれたお茶菓子をハンカチに包み、それを回すと自然と鼻歌も歌えるようになり、川沿いの長い道もいつしか楽しめるようになりました。
母に当たりちらしたことは数知れず、です。想像を絶する飢餓の時代ですから、母は田舎に疎開させていた父のカメラコレクションを一つずつ持ち出して、お米や豆、芋と交換して、家族の食をつないでいました。とはいえ、カメラは、父と私の撮影小旅行の思い出がいっぱい詰まっている宝物です。何も言わない父の気持ちが分かるだけに私の心も痛みました。
現実の空腹との葛藤に悩みながらも、母が食料を自転車の荷台に積んで帰ってくるのが見え、夢にまで見たお餅が目の前に現れると、歓声を上げる私でした。