■秘密の場所のおじさまと遊び友達に
3歳から6歳までの半分くらいを、東京・荻窪の伯父夫婦の家で過ごしました。母方の伯父、榊原龍次は子供を授からなかったので、私を養女にしたかったのでしょう。
伯父は岡谷鋼機の東京本社に勤めていて、実家と比べてとても裕福で、何でも買ってくれましたが、一番、覚えているのは黒板です。伯父は会社から帰宅すると、黒板に川や鳥などの絵を描き、それがだんだんと象形文字や漢字に変化していくのを面白く教えてくれました。私が漢字に興味を示すのでノートや画用紙、クレヨン、絵本など次々と買い与えてくれ、早くから読み書きやお絵描きができるようになりました。
◆実は時の総理大臣
それでも遊び友達がなく、桑名の家族恋しさに、朝から泣き叫んで暮らしていました。そんな日々のなかで、子供ながら落ち着ける場所を発見しました。
伯父の家のすぐ近くに立派なお屋敷の塀があって、裏門にはささげ銃の兵隊さんが身じろぎもしないで立っていました。その前を通過して、裏門から広々とした素晴らしいお庭に入り込みました。いつも泣いている女の子を、なぜか門番兵たちが見逃してくれていました。誰もいない庭で遊び放題。静寂に包まれながら、草むらで寝込んでしまうこともありました。
ある日、そのお屋敷からげたを履いた着物姿のおじさまが来て遊んでくれるようになり、花を摘んでくれたり、トンボやセミをとってくれたり、すっかり遊び友達になってくれました。先日、70年ぶりに、今の後継者の方々に招かれる幸運を得て、初めて分かったことですが、そのおじさまは時の総理、近衛文麿氏その人だったのです。その邸宅は、いま荻外荘公園となっています。