「自分がインフラ支える」感銘受け JR貨物に入社
被災地へ 石油列車JR貨物の大宮車両所(さいたま市)で機関車の整備に当たる市川裕樹さん(28)は東北大学在学中に東日本大震災に見舞われた。大学では人間工学をベースとして原子力システムの安全性向上などに取り組む国内屈指の研究室に在籍していたが、震災後のモノ不足に苦しんだ経験から畑違いの物流業界に興味を持ったという。とりわけJR貨物による被災地への石油輸送に強い感銘を受け、大学院修了後に同社への就職を希望した。入社試験に合格し、機関車整備の業務について3年目の市川さんは、作業靴とヘルメット姿で油にまみれる毎日にやりがいを感じている。
市川さんが被災したのは、東北大学工学部の4年に進級する直前だった。2011年3月11日、市川さんは前夜遅くまでアルバイトがあり、起床したのは昼をかなり過ぎていた。下宿先は仙台市にあるマンション7階。遅い昼食を作ろうと立ち上がったとき、激しい揺れに襲われた。立っていられず、その場にへたり込んだ。
モノの流れに興味
揺れが収まり、居室から出ようとしたが扉が開かない。台所の冷蔵庫が大きく移動し、ドアをふさいでいたのだ。巡回にきた管理人に救出されたが、閉じ込められた不安は今も消えない。近くの避難所に身を寄せた。中央にともる石油ストーブから伝わる温かさが、緊張していた心を解きほぐす。買い出しにコンビニに向かったが、そこはすでに長蛇の列。おにぎりなど最低限の品物が買えたのは幸運だった。小さなレジ袋を提げて店を出てしばらく歩くと、見知らぬ高齢女性に声をかけられた。「それ、どこで買えましたか?」
「今まで人の持つレジ袋に関心をもったことがあるだろうか」。目の前を流れるたくさんのモノやサービス。このおにぎりはどうやってここにきたのか。市川さんは初めて、モノの流れに興味を持った。
大学院に進学した市川さんは原発などプラントや交通インフラの運転ミスや誤操作が発生する仕組み、防止策などの研究に取り組んだ。
全国だからこそ
仙台市で開かれた就職説明会に参加した市川さんは、偶然JR貨物のブースに立ち寄り、震災時に行われた石油列車の取り組みを知った。情報を集めていくと、普段使わない経由地やディーゼル機関車を駆使した緊迫した輸送作戦だったことがわかり、胸が熱くなった。「全国で鉄道輸送を担うJR貨物だからこそできたんだ」
JR貨物の入社試験に臨んだ市川さんは、最終の役員面接で震災で物流のありがたみを痛感したこと、石油列車に感動したことを伝えた。
間もなく、市川さんにJR貨物から内定の知らせが届いた。入社後数カ月の研修を経て、大宮車両所での勤務が決まった。毎日けたたましい音を立てて車両所のシャッターが開き、酷使されくたびれた機関車たちがやってくる。オーバーホールには2カ月かかることもある。徐々にできる仕事が増えてきた。運転士などさまざまな仕事を経験してみたいが、将来的には機関車の故障診断や人間工学に基づいた運転支援など、機材の開発にも取り組んでみたいと思う。貨物鉄道の設備は次々に更新され、震災時の石油輸送で活躍した古い機材はすでにない。次に巨大災害が起こったときも、貨物鉄道が被災地への物流を担えるようインフラを支える。それが自分の役目だといえるように働きたいと、市川さんは目を輝かせていた。=おわり
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