機関車解体、ベテラン運転士減少 非常時の物流支援に課題

被災地へ 石油列車
石油輸送を担った運転士の一人、JR貨物の渡辺勝義さん

 磐越西線ルートでの石油輸送は順調に行われ、4月1日以降は1日2便に増便された。しばらくは会津若松から猪苗代駅までの登りのみ、ディーゼル機関車DE10を補機として連結し、空転に備えた。

 エンジンから白煙

 石油輸送に選ばれた運転士の一人、JR貨物郡山総合鉄道部の渡辺勝義さんは3月30日から乗車した。雨が降る中、磐梯町からDE10の後押しをいったん止めてみたところ、やはり車輪が空転し、走行困難に陥った。

 間もなく郡山に到着する地点で、渡辺さんは線路脇で揺れるものを見た。列車に向け、大きく「ありがとう」と書いた段ボールを女性が掲げていた。鉄道貨物一筋約35年、職務中にこんなに感激したことがあっただろうか。定年まであと何年もないが、この思いを後輩たちに伝えたい、そう思った。

 渡辺さんは4月1日も乗車。好天に恵まれ安心して走行していたとき、事件は起こった。磐梯町手前の急坂で、運転席の下から「バンッ」という破裂音がし、出力が急速に落ちていった。後ろを振り向くと車体下から白煙がたなびいていた。「エンジンがぶっ壊れたぞ!」

 エンジンからの煙が白いうちは水蒸気が主だ。黒煙になると発火の恐れが強まり緊急停車するしかない。「まだ行ける。こんなところで止まれるか」。渡辺さんは出力をできるだけ保ち、急坂を上る。速度が時速10キロ台に落ち停車寸前、磐梯町駅のプラットホームに滑り込み、本線を空けることができた。3分後、旅客列車が石油列車を追い越していった。石油の到着は遅れるが、他の列車のダイヤを乱さないでよかった。渡辺さんはほっと胸をなでおろした。

 連絡を受けた会津若松駅から職員が車で駆け付けた。点検するとDD51の2基あるエンジンのシリンダーが吹っ飛び、大きな穴が開いていた。

 JR貨物本社で機材調達を指揮した松田佳久さんは「解体待ちで長く稼働していない機関車を緊急整備して走らせていた。予想以上に負荷がかかったのかもしれない」と分析する。幸いこの日から石油列車は2便体制となり、先に郡山に石油を運んだDD51が会津若松に戻る予定があった。磐梯町で機関車を交換し、無事石油を届けることができた。

 東北本線が復旧する4月17日まで、小さな機関車故障や余震による緊急停車などに見舞われながらも石油列車は運行を続けた。輸送最終日、郡山から4つ目の磐梯熱海駅には地元住民や鉄道ファンが集まり、感謝の横断幕も掲げられた。なかには「DD51ありがとう」と書かれたものもあった。「俺たちじゃないのか」、渡辺さんは一瞬苦笑いを浮かべ、「お前も本当によく頑張ったよな」と運転台をなでてやった。

 4月17日まで、JR貨物は磐越西線ルートで2万キロリットル、日本海ルートで3万7000キロリットルの石油を被災地に運んだ。タンクローリー2850台分に相当するという。

 石油列車の運行と前後して宮城県の塩釜港や福島県の小名浜港にも大型石油タンカーが入港できるようになり、現地のガソリンスタンドに並ぶ給油待ちの車列は徐々に消えていった。

 企業の機材保守限界

 東日本大震災の数カ月後、国土交通省内で大災害が起こった際の物流の在り方を検討する会議が開かれた。JR貨物からは異常時対応を指揮した安田晴彦さんが出席し、ディーゼル機関車の有用性を示しつつ、「非常時用の機材を民間企業が保管し、保守し続けるのは限界がある」と訴えた。

 石油の列車輸送自体、減少傾向が止まらない。ハイブリッド自動車の普及でガソリンの需要が減ったためとみられる。今回の石油輸送で活躍した機関車や古いタンク貨車は、ほとんどがその役目を終え、解体された。運転士たちも定年が近づいている。南海トラフ地震や首都直下型地震も懸念される中、非常時の物流を誰が支えるのか。議論はまだ、始まったばかりだ。