京大発ベンチャーが“幻のスポーツカー”復活 大手蹴ったエンジニア集団「トヨタに負けてない」
提供:PRESIDENT Online幻のスポーツカーと言われた「トミーカイラZZ」がEV(電気自動車)として蘇った。製造販売するのはGLMという従業員22人のベンチャー企業だ。39歳ながら小間裕康社長は100社以上もの国内サプライヤーと提携し、日本発のEVメーカーとして自動車業界に風穴を開けようとしている。
京大発! ベンチャーでも自動車産業に参入できる
そのEV(電気自動車)スポーツカーの加速性能は驚きだ。アクセルを踏み込むと、思わず身体がのけぞるほどのパワーでスピードが上がる。発進からわずか3.9秒で時速100kmに達するという加速力で、ガソリン車の高級スポーツカーをしのぎ、レーシングカーのような走りを体感できる。一切、電子制御がないのでアクセル、ブレーキ、ハンドルの操作感や路面の振動が直に五感に伝わり、車との一体感を持てる。
GLMが2015年10月から量産を開始した「トミーカイラZZ」は、税抜き800万円、限定99台で売り出し、予約販売で納車が進んでいるという。公道を走れる型式認証を取得し、99台限定とは言え、EVスポーツカーを量産したのはGLMが日本初である。
GLMは京都大学のプロジェクトから始まった従業員22人のベンチャー企業だ。この快挙を成し遂げた社長の小間裕康(39歳)は、まだまだこれは皮切りだと冷静に話す。
「小さなベンチャー企業でも自動車産業に参入できることを今回、示すことができました。製造業ではベンチャーの柔軟な発想を活かすことが時代の流れなのに、自動車産業では無理だろうと日本人は自ら天井を決めつけてしまいがちです。私たちはそれを一つずつ取り除きながら事業を進めてきました」
トミーカイラZZは、京都のトミタ夢工場創業者の冨田義一が開発したスポーツカーで、1997年に発売開始し、99年までに206台が製造販売された。当時、イギリスで生産され日本に逆輸入された。同社は2003年に倒産し、幻のスポーツカーと呼ばれた。小間はこの冨田と出会って、その姿の美しさや冨田の想いと車名・ロゴマークを引き継ぎ、EVとして内部から外観まで新たに開発した。冨田は現在、同社の社外取締役だ。
神戸生まれの小間だが、EV開発では京都にこだわっている。冨田が京都で始めたように、小間は舞鶴市にある小阪金属工業という部品加工メーカーを委託生産の拠点とし、サプライヤーから集めた部品を専属スタッフが加工、組み立てし、出荷する。
当初、京都に集積する電気部品メーカーの協力を得ながら開発を進め、現在では大手メーカーも含めて100社以上のサプライヤーとネットワークを組み、生産している。まさに国産EVである。産業用ロボットなどを作る大手電機メーカーの安川電機とは資本・業務提携し、モーター・インバーターの共同開発も行っている。
プラットフォーム販売のビジネスモデル
2016年12月にトヨタ自動車が、EV開発の社内ベンチャーをグループから集めた4人の社員で発足させたと話題になった。
「それより、うちの方がエンジニアの数が多い。トヨタに負けていませんね」と、小間は笑い飛ばす。GLMのエンジニアは現在12人。確かに負けていない。しかも、その顔ぶれを聞くと驚く。
技術本部の本部長である藤墳(ふじつか)裕次は、トヨタのレクサス部門で7年間、車台の設計を担当した課長だったが、小間の試みを知った2010年にGLMのホームページから「入社したい」とメールを送った。当然、同僚や周囲、親も反対した。藤墳は給料が3分の1に減っても、車全体を一から作りたいと2011年に入社した。
「藤墳が技術、僕がマネジメントと二人三脚でやってきました。彼がいたからこそ、部品メーカーも納得してくれたのです」と小間。
藤墳以外にも大手の椅子を蹴って、駆けつけたカーエンジニアたちが多い。小間の言う「とんがった連中」は、巨大メーカーの歯車でいるより、新しいEVを作るということに面白さを感じたのだろう。スタッフばかりではない。部品メーカーたちも興味を感じて、飛び立てるかどうかわからない小さなベンチャー企業に協力した。
「まず高級EVスポーツカーに商品を絞ったことで、客層も明確になりました。部品メーカーなどサプライヤーの担当者の皆さんもそこに面白さを感じてくれたようです。何か新しい車が生まれるというワクワク感ですね。ただ、商売になるかどうかも会社としては気になるところです。幸いなことにGLMを設立した2010年は、ちょうどEVの黎明期で、部品メーカーもEV用部品を検討、開発していた時期なんです」
当時、大手自動車メーカーはまだEVに乗り出す気はなかった。そこに、高性能のスポーツカーを作りたいというベンチャーが現れたものだから、テクノロジー・ショーケースやテストマーケティングとしては部品メーカーにとって都合がよかったというわけだ。
しかも、GLMは完成車だけを売るのではなく、ベースとなるプラットフォームを販売するビジネスモデルも考えていた。これが魅力的だった。プラットフォームというのは、フレーム、シャーシ、ステアリング、サスペンションにモーターやバッテリーなどのパワーシステム、そして制御コントロールユニットを指し、それらをパッケージ化して販売する事業だ。
ボディはユーザ企業が自由にデザインし、GLMが設計を含めて開発委託を受け、ユーザ企業の工場で生産する。あるいは、プラットフォームだけ提供することも可能だ。
「従来の自動車産業の系列システムから新たなエコシステムへ移行するのです。これならば自動車と縁がない企業でもEVを生産できるようになります。現在、アジアの大手自動車メーカーやサービス会社から引き合いがあり、試作している段階です。国内企業からも少しずつ引き合いが増えてきました」
「自宅で生演奏」バイトから始まった
小間のキャリアは独特である。人と同じことはしない人生とも言える。
1977年、神戸に生まれた小間は高校2年生の時に阪神淡路大震災に襲われた。家族は無事だったが、友人が亡くなり、自宅周辺で遺体が折り重なる光景も目の当たりにした。
「生きているからには何かしなければ」と思った小間は、中学時代から熱中していたピアノを演奏し、集会所や飲食店で被災者を慰めることを始めた。そのピアノも正式に習ったものではなく、独学の三本指演奏でジャズやポップスの伴奏までできるようになったというのだから驚く。
甲南大学入学後も友人と演奏活動をしている中で、大きなイベントでの演奏も任されるようになり、ふと「自宅で生演奏」というアルバイトを思いついた。高校時代からほしい物を買うには小遣いではなくバイトでカネを貯めるという生活をしており、そんなアイデアを思いついたのだ。
これがヒットし、自分たちでは間に合わなくなって、ミュージシャン仲間を派遣するビジネスに発展、なんと月収100万円にまで成長する。人が周囲に集まり出すと、みんなで格安旅行を楽しみながら、旅行代理店のまねごともするようになった。さらに手元資金を稼ぐために始めた家電量販店のバイトで、販売員としても才能を発揮すると、販売員を派遣するビジネスも始めた。これは商才としか言いようがない。
大学4年時に祖父の休眠会社を譲り受けて、コマエンタープライズという派遣ビジネスの会社を設立した。祖父はかつて建築会社を経営し、小規模な会社ながらも有名な建築物を手がけていたという。
この会社がさらに成長し、外資系メーカーなどのセールスマーケティングを請け負う人材を派遣するようになった。最盛期にはマネジメントスタッフ40人、売上20億円になっていた。
会社が成長すると共に、取引先の担当者も出世し、彼らとの会話を通じて自分がビジネスや経営の知識が不足していることを痛感した。そこで、2009年、京都大学大学院経営管理教育部(MBA)に入学した。このことが小間の運命を変えた。
そこで、松重和美教授(京都大学名誉教授)と出会った。松重教授は1996年に発足した「京都電気自動車プロジェクト」を主導しており、興味を感じた小間は参加した。
「活動するうちに京都には部品メーカーも多く、EVをベンチャーが作るチャンスではないかと考え始めました」
プロジェクトは一通りの成果を出し、収束に向かっていたが、このまま終わらせたくないという松重教授の思いもあり、小間はビジネス化に動いた。松重教授も起業と経営の経験のある小間に期待した。
面白いことをどこまでやり続けられるか
当時、小間は小型EVに将来性があると見込み、韓国のEVベンチャーを視察したが、その企業が経営破綻。小型EVでは試乗しても乗る喜びがないし、ベンチャーでは無理かと半分あきらめかけた。そんな中で、アメリカに旅行し、テスラモーターズに立ち寄ると、同社のロードスターに試乗した。
「それがめちゃくちゃ楽しかったんです。ベンチャーとしてこれを作り上げたのはすごいと感動しました」
こうして、小型EVではなくEVスポーツカーでいこうと決断し、松重教授の了解も得た。
2010年4月、大学院生2年の時に、松重教授を特別顧問(現社外監査役)にグリーンロードモータース(現GLM)を設立。と言っても当初はプロジェクトメンバーや小間の友達がゆるいつながりで参加し、サークル的なノリで始めた。しかし、小間はコマエンタープライズを創業メンバーに譲り、自らは退路を断って、EVに人生をかけた。
予算もなければ自動車業界について何も知らない小間は、大手自動車メーカーにいきなり「一緒にEVスポーツカーを作りましょう」と声を掛けたり、大手電機メーカーに「電池を提供してほしい」と頼んだりして、あきれられた。当然、門前払いだ。
だが、そのときにEVスポーツカーを作るためのエンジニア募集で、元トミタ夢工場に勤めていた男がやって来た。彼に聞いてトミーカイラZZのことを知り、さっそく冨田を訪ねた。すると、ちょうどブランド販売権が冨田に戻ったばかりだった。トミーカイラZZをEVとして復活させようという小間の提案に冨田も乗り、冨田が持っていた車を使ってEVにコンバージョンした。ところが、テスラ・ロードスターの加速性能を期待していた小間は愕然とする。「チョロQ並」の性能だったのだ。
「甘く見すぎていました。そこで、全て一からやり直すことにしました。後は目標を設定しながら1歩1歩着実に進んできました。それがかえってよかったのかもしれません」
人材集め、協力部品メーカーの開拓、型式認証の取得など壁はいくつもあり、中でも資金調達に苦労した。自動車開発はカネ食い虫だ。いくらあっても足りない。そんな中で、現れたのがエンジェル(個人投資家)たちだ。小間の挑戦に共感した元ソニー会長の出井伸之や、元グリコ栄養食品会長の江崎正道、元シティグループ証券副社長の那珂通雅、さらにはX JAPANのYOSHIKIなどが出資してくれた。
「日本にはエンジェルがいないと言われますが、そんなことはありません。みなさん、資金だけでなくて、業界・財界で力のある方々ですし、経営を支援してもらっています」
彼らの影響もあったのか、海外のファンドや事業会社が出資に応じてくれた。サウジアラビアや台湾の国営ファンドも来た。
資金を得て量産体制が構築できたGLMは攻勢に出る。2016年9月末に開幕したパリモーターショーで日本初の次世代型EVスーパーカーのコンセプト車を発表。「G4」はクーペスタイルの4ドアセダンで、航続距離がトミーカイラZZの120kmを大きくしのぐ400kmで、時速100kmまで3.7秒、最高速度250km/hという“とがった”性能だ。量産開始時期は2019年を目指す。価格は未定だが、3000万円クラスの超高級車になりそうだ。
小間に会社のビジョンを問うと、こう答えた。
「成長云々より、まず面白いことをどこまでやり続けられるかですね。面白いことをきちんとやるためには成長も必要です。僕は学生時代から起業しようと思っていたわけではなく、何か面白いことを続けてきただけなんです。面白ければ周りに人が集まって来て、さらに面白くなる。みんなが助けてくれて僕もGLMもあるのです」
祖父は「お前には徳が足りない。臭いものにはハエがたかるだけだぞ」と小間を叱咤し続けたという。徳を積むこと、恩をきちんと返すこと。小間はその教えを守りながら前に進み続ける。
(文中敬称略)
GLM株式会社
●代表者:小間裕康
●創業:2010年
●業種:電気自動車の製造販売
●従業員:22名
●年商:非公開
●本社:京都府京都市
●ホームページ:http://glm.jp/
(ジャーナリスト 吉村克己=文 GLM=写真提供)
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