政府の事故調査・検証委員会が平成24年7月にまとめた報告書は、福島第1原発事故における菅直人元首相をはじめとする首相官邸サイドからの介入についてこう総括した。
「介入は現場を混乱させ、重要判断の機会を失し、判断を誤る結果を生むことにつながりかねず、弊害の方が大きい」
これは当然、吉田昌郎元所長からの聴取結果を反映しての結論だろう。吉田氏は、直接官邸と現場がやりとりすることの違和感を繰り返し語っている(23年8月8、9日の聴取)。
「何で官邸なんだというのがまず最初です。何で官邸が直接こちらにくるんだ。本店の本部は何をしているんだ」
「最初、官邸と電話なんかする気は全くなかった」
「官邸と現場がつながるということ自体が本来あり得ない」
その上で、不眠不休の極限状況の中で菅氏から受けた電話の内容の空疎さについて、こう明かしている。
「水素爆発はどういうメカニズムで起こるんだということとか、それは水蒸気爆発と違うのかというようなご質問をなさっていた」
「ごく初歩的な質問を菅さんがして、私が説明し始めたら、ちょっと待ってくれ、その質問は日比野(靖内閣官房参与)さんがしているからということで、日比野さんに代わって、結構忙しいときだった」
菅氏から電話があったのは4回ほどで、このほか「警戒区域と避難区域、20キロ、30キロの話について、こう決めたけれども、所長はどう思う」と問われて吉田氏が「知りません」「現場の判断ではない」と答える場面も出てくる。
また、同年11月6日の聴取では政府事故調の質問者から、官邸内で海江田万里経済産業相や細野豪志首相補佐官ら政治家や東電幹部、班目(まだらめ)春樹原子力安全委員長らが「勉強会」を開き、そこで出た疑問を現場に電話で問い合わせていたと聞き、吉田氏はあきれてこんな感想を語っている。
「何をもってこの国は動いていくんですかね。面白い国ですね」
吉田氏は、細野氏にはあらかじめ、協力企業関係者や事務職員ら「関係ない人は退避させることも考えています」と言って、プラント制御に最低限必要な人員は残す考えを伝えていた。
ところが、細野氏は23年11月の民間事故調のヒアリングでは東電に全面撤退論があったとの立場でこう菅氏を持ち上げている。
「菅氏は、何の躊躇(ちゅうちょ)もなく『(東電の)撤退はあり得ない』と言った。私は(菅氏が)日本を救ったと今でも思っている」
菅氏自身は今年6月21日付のツイッターで「私の原発事故対応に対する嵐のような批判も、吉田調書や(関電大飯原発第3、第4号機の運転差し止めを命じた)福井判決で風向きが変わってきた」と記した。
吉田調書は、あくまで吉田氏個人の記憶に基づく証言であり、すべて正確だとまでは言えないだろう。とはいえ、現場で事故対応の前線指揮を執った当事者の証言は極めて重い。