昭和の政治家・田中角栄元首相は、今でも根強い人気がある。なぜ彼は人の心を惹きつけるのか。セブン‐イレブン限定書籍『田中角栄処世訓 人と向き合う極意』(プレジデント社)の一部を特別公開する。今回は「スピーチ」について--。※本稿は、小林吉弥『田中角栄処世訓 人と向き合う極意』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
人の心をつかむ“角栄流”スピーチの極意
交渉事のやりとりや
スピーチに、
多くの数字と
歴史にまつわる
話を入れろ。
説得力が増す。
雄弁家とかスピーチ上手と言われる人の話の多くは知識満載なのが通例だが、帰り道に「さて今日の話はなんだっけ」と、結局はあとに何も残っていないことが少なくない。交渉事のやりとりも同様である。
田中角栄は演説やスピーチに、多くの数字と歴史にまつわる話を入れていたのが特徴的だった。同時に、人の情に訴えかけたり、夢を語ったりということも加わった。さらに、絶妙な間を取りながら、比喩や例え話なども織り交ぜ、笑いを誘いつつ、結びはビシッと締めたのである。
すると、例えば演説を聞き終えた聴衆はその帰り道、本題の内容は忘れても、小さな話のなかに妙に心に引っかかるものが残ったりする。ちょっとした夫婦の物語だったりで、聞き手としては「今日はいい話を聞いたな」と思わせるのである。
田中は「私の演説、スピーチは田舎のジイサンやバアサン、学生、会社の経営者など誰が聞いても分かるようにできている」と自信に満ちて口にし、それもまた「スピーチの極意のひとつ」としていた。
稚拙でもいいから、
自分の言葉で話せ。
自分自身が
汗と涙で体得したことを、
自分なりの言葉で話せば、
相手の心に響く。
一方で田中は、「自分の言葉で話せ。借りものは必ず人が見抜く。世間は甘くない」と言っていた。スピーチと同様、本、テレビ、人から聞きかじった話などから拾ってきた知識では、人の心は打たないということである。
世の中には、その程度のことは百も承知という人は山ほどいるから、借りものはすぐに見破られる。稚拙でもいいから、自分自身が汗と涙で体得したことを自分なりの言葉で話せば、より説得力が増し、相手にも響くということである。
もっとも、一般的には自分の言葉だけで話をするというのは容易なことではない。田中は15歳で上京し、苦労に苦労を重ねて這い上がっていくなかで、人の心の移ろい、綾といったものを身に付けていった。聞いている人が胸を打たれるのは、そのあたりから来ている。
まず結論、理由は3つに
長話はやめろ。
考え抜いて、
結論から言え。
「話をしたいなら、まず結論を言え。理由は、三つに限定しろ。世の中、三つほどの理由をあげれば、大方の説明はつく」
田中角栄は、日頃、接する若手議員や自らの秘書たちに、よくこう言い置いた。
田中は元々、せっかち、合理主義的な性分であった。また、常に多忙であり、頭の回転が早く、一を言えば十、いや二十くらいは悟ってしまう人物でもある。ダラダラした話など、とても聞いているヒマはないということである。
そのために、議員も秘書も、そうした“鉄則”を守らなければならなかった。そうしたやりとりのあと、直ちに返ってくるのが田中の代名詞とも言うべき「分かった」の一言だったということになる。
こうした「角栄派」は、手紙、電話においても同様で、例えば手紙の内容も極めて率直、簡潔、事務的である。拝啓、謹啓、敬具などは一切なし、が特徴である。
一、お申し越しの件、調査の結果、解決策は次の三案しかありません。
一、この三案の利害損得は、左の通りとなります。いずれを選ぶかは、貴殿のご自由であります。
一、何月何日までに、本件に関してのご返答をわずらわせたい。
ラブレターも率直、簡潔、事務的……
若い頃のラブレターの“中身”も、また同じであった。「何月何日何時。どこそこにて待ち合わせ。何時までは会える」と、じつにソッ気ないのである。
田中いわく、「愛してるだの、夜眠れないだのは、会ったときに言えばいいじゃないか」と、なんとも“合理的”このうえなかったのである。「我惟おもう、故に我在り」で知られるフランスの哲学者にして数学者だったデカルトも、「よく考え抜かれたことは、極めて明晰な表理をとる」と言っている。