今年もミラノサローネ国際家具見本市が4月21日から開催される。59回目である。そこで2月12日、ミラノのサクロ・クオーレ・カトリック大学でプレス発表が行われた。
新型コロナウィルスの影響でプレス発表に参加できなかった中国の主要メディアのジャーナリストたちから届いたビデオメッセージが、冒頭に近いパートで紹介された。
そこには無念さとサローネへの声援があり、これらの声を受けて主催者はこうした事態が世界の分断を生まないように配慮する。とは言うものの、重点市場の人たちの不在がもたらす経済的影響は大きい。よって中国に過度に依存しないビジネスのあり方を探る姿が十分に見てとれる。
さて本題だ。ぼくがこのプレス発表で注目したのは、ますます「デザイン文化の聖地」を意識した構成を目指している、ということだ。
ミラノサローネにはマニフェストがあり、次の10のキーワードが並んでいる。括弧の中は、ぼくなりの解釈の要約である。
「感動」(感動なきところに新しい推進はない)「企業」(具体的なビジネスなき全ては絵空事だ)「品質」(プロダクトライフサイクルが第一)「デザイン」(デザインとは何かを探る存在であり続ける)「ネットワーキング」(枠組みを超えて繋がる場の力)「若者たち」(クリエイティブであろうとする若い世代が世界から集結)「コミュニケーション」(世界への発信者も集まっている)「文化」(時空を超えた意味に接する場)「ミラノ」(郊外の見本市会場と市内イベント会場との有機的つながり)「創意工夫」(意味あるものに到達するために諦めない)
ここに今回、11番目の言葉として「美」が加わった。うかつにも、「美」がこれまでのキーワードに入っていなかったことを、ぼくは気づいていなかった(「美」が入っていないじゃないか!と文句を言った覚えがない)。だが、この「美」の追加でデザイン文化の聖地化は一段と強化されたと考えた。
真・美・善は揃うことに意義
もともとは見本市会場でのインテリア商品の展示にはじまったが、今や市内各所で分野を問わない展示が何百と同時並行で開催され、デザインのイベントとして比類なきパワーをもっている。したがって最近では、「ミラノサローネに出かける」という表現と共に、「ミラノ・デザインウイークに出かける」とのセリフも一般化している。
以前、家具見本市の主催者は「市内のイベントは我々と別物」との態度をとっていたように見えたが、数年前から自分たちのポジションをより包括的に意識しはじめている。マニフェストはその表れである。
ただ、イタリア文化において「審美性」や「美意識」が必須項目となっているにも関わらず、マニフェストには「美」が抜けていた。「感動」の源泉であるにも関わらず、である。
これにはいくつかの想像ができる。
まずデザインの対象適用拡大や民主化のプロセスにあって、審美性の強調は好ましくないとされてきた。審美眼に劣ると意識する人(「私にはセンスがない」と思う人)にデザインに近寄ってもらうには審美性の位置を下げる、との手法がデザインの普及を目指すコミュニティのなかでは行われてきた。