吉野彰さんについて、ともに汗を流した旭化成の後輩社員は「おちゃめでやんちゃな人柄が、電池の改良や普及にすごく役だった」と振り返る。
平成4年のある日。同社の研究員だった津端敏男さん(55)は出張のため、新幹線の座席で初対面となる吉野さんを待った。吉野さんは社内で既に新型電池のカリスマ。緊張していると、現れた吉野さんは「ちょと待ってて」とすぐに席を離れ、缶ビール2本を手に戻ってきた。
「会ってみると、ものすごく人なつっこい。これからよろしくと乾杯し、すぐ意気投合できた」と津端さん。電池の改良や用途の開拓のため行動を共にし、意見をぶつけ合う日が続いた。
吉野さんについて津端さんは「アイデアが豊富で、その多くはうまくいかない。ただ、どれかが成功するので行き詰まらず、スランプに陥らない」と話す。
新しいアイデアを見つけては「やっておいて」と周囲に任せた。吉野さん自身は夜の繁華街に消え、研究員が必死で実験し、データをアルコールの入った吉野さんのもとに持っていった。上機嫌でカラオケに興じていた吉野さんと部下の真剣な議論がそこで始まり、終電まで続いた。
本当によく飲んだ。深夜まで仕事をした揚げ句「頭がガンガンしてきた。クールダウンしに行こう」と同僚を引き連れ、そこでまた議論に。飲むのは焼酎、歌うのは「内山田洋とクール・ファイブ」の曲が多かったという。
「いつまでにこの仕事をしろ、などと肩肘を張って人を管理するのではなく、『これは面白そうだ』と心を上手にくすぐる。一緒に何かすると何かが起きると、前向きな気持ちにさせる」と津端さんは話す。
やんちゃな性格で、全員が背広姿の会合でもジャンパーで臨んだ。同僚の心配をよそに、カッパのかぶり物をして1人で夜の繁華街へと消えてしまったこともあったという。