緊急事態宣言も解除され、ようやく飲食店でのアルコールを伴う会食も恐る恐ると言え再開できることとなりました。異例の厳しく長かった自粛生活は、我々の生活習慣に根深いインパクトを与えたことは間違いなく、コロナ以前のライフスタイルにすべてがそのまま戻ることは難しいのかもしれません。
とは言えやはり日本人が営々と築いてきた外食や飲み会の豊穣についてそのまま捨て去るには惜し過ぎると思えてなりません。
例えば「とりあえず乾杯」で始まる飲み会、その瞬間間違いなくウキウキする高揚感にあふれます。これから始まる打ち解けた会話と美味しい食事、もちろん「乾杯」と言ったからには欠かせないのはお酒です。酒好きはパブロフの犬並みにうれしくなってしまうはずですし、そこまでお酒が得意でない方でも飲み会の雰囲気は嫌いではないよという方も少なからずいらっしゃいます。
それにしても毎度そんな楽しさの中でも頭の片隅にしみじみ感嘆してしまうのは、「とりあえず乾杯」という言葉はニアリーイコール「とりあえずビール」ということに少なくともここ日本では(もちろん「とりあえず乾杯」が焼酎だったりする楽しい地域もありますが)なっているということであります。飲み会がある度に、最初の一杯は全員が「何にしようかな」と迷う間もなく、というか迷う面倒もなくビールで合意されているというありがたさは誰の発明でしょうか、天才過ぎると言わざるを得ませんが、実際にはビール会社が営々と積み上げてきたマーケティング活動の成果に他なりません。
日本におけるビール製造販売の草分け麒麟麦酒に至っては1870年(明治3年)の 「スプリング・バレー・ブルワリー(SPRING VALLEY BREWERY)」に源流をもち、変遷を経て1907年(明治40年)に三菱財閥の出資で発足するなど錚々たる歴史があります。その長い歴史の中で、飲食店との二人三脚で、常に新鮮なビールを補充し、時に最適温度でビールを保管できる冷蔵ケースを提供し、最近であれば高性能なビールサーバーも準備するということで、飲食店の利用客にビールを常に美味しく飲んでもらうための細やかな気配りと工夫を凝らしてきたのです。
マーケティング面でも、キリンのロゴ入りでお店の看板を用意したり、季節折々の衣装を着た女性モデルのポスターなどはかつて風物詩的に飲食店の壁を飾っていました。
努力があったからこその「とりあえずビール」であったわけですが、エスニック料理を含む飲食業態の多様化や他ならぬ酒造メーカー自身が仕掛けたビール以外のアルコール飲料の販促、糖質オフムーブメントや酒税を含めた相対的なビール価格の上昇など多くの要因が重なり、「ビール離れ」と言われる防衛戦の厳しさが指摘されるようになりました。そんな状況で迎えたコロナ禍でした。
■最大手企業があえてのクラフトで志すもの
一方でビール製品にとっての市場機会を考えれば、期せずして自宅での食事、晩酌生活を余儀なくされたことで自宅飲み需要が好調な中、やはり一味違うこだわりのテイストを求める心理は働きやすい環境があると思われます。それでなくても、ベルギービールやイタリアビールなど欧州系の日本のものと一味違うビールを出すレストランや、世界の珍しいビールを扱うカルディや成城石井などセレクトショップ的な要素を取り入れた小売店なども増え、日本人のビールに対する感受性は拡がる傾向であったように思います。そんな中であえての最大手キリンビールによるクラフトビールの市場投入だったわけです。
ジンなどを含めて世界的なクラフトブームですが、そもそもクラフトとはどういう意味でしょうか。もともとは手作りの工芸品などを指す言葉だったと思いますが、そこから小規模、少量生産、時に伝統的な工法にこだわったり、地元の素材など、大規模工業製品にはないこだわりを実現した製品を指すようになったように見受けられます。
そういう意味では、巨大食品産業代表格のビール大手発、まして「一番搾り」「本麒麟」に次ぐ3本目の柱という戦略も聞こえてくることを考えると、ちょっと自己矛盾感なくもありませんが、そもそもクラフトという言葉が広く表現的に使われていることを考えればあくまで志としてのクラフトと理解しています。
■クラフトでなければ実現できないものとは
筆者個人がクラフトと聞いて思い出すのは非常に個人的な心象風景です。ある時期友人の住む街に何かとかこつけては通ったある焼肉店のオヤジの顔。あえて親愛の情を込めてオヤジと呼ばせていただくのですが、木や石など本格的素材で彩られ薄暗い照明で演出された高級感のあるその焼肉店の真ん中にドカッといつも陣取り、なぜか鬼のような形相とスマートとは言えない体格の迫力は印象的なものだったのです。
会話らしい会話をする機会は恐ろし過ぎてまったくなかったのですが、どうも様子を伺うにいつもホールの真ん中にいますから調理人というわけではなさそうです。かと言って自分が給士したり会計するというわけでもありません。そう彼はまさにオーケストラの指揮者のようにホール全体を見渡し、彼のスタッフに合図を送り、すべてが完璧につつがなく運ぶようにまさにタクトを振っていたのでした。
きっとオーナーだか店長だとは思われるのですが、それがまったく権威主義的な圧力感の負のオーラはまったくないのです。ただ一心不乱に鬼気迫る形相で物静かにすべてを司る気迫、まさに彼の目配りがその店の完璧な料理、サービスを実現しているのだと理解してからは、一見したところの恐ろしさより圧倒的な親愛の情を禁じ得なくなりました。
そんな見立てが図らずも裏付けられたのは、むしろ悲しい結末からでした。しばらくそのお店にいけなかった時期があり久しぶりに行くとまずそのオヤジがいないことに気が付きました。案の定嫌な予感は的中、あれほど別格に素晴らしかったそのお店の料理、サービスともにまったく普通レベルに変わり果ててしまっていたのです。まさに「神は細部に宿る」。メニューも内装も何も変わったわけではないのに、まるで指揮者不在のオーケストラのように気の抜けたような状態への劇変は、逆説的に一人の意識ある人間の関与がいかに素晴らしい食、サービスを実現する上で不可欠か思い知らしてくれたものでした。
ミシュラン星付きのお店にチェーン店や大箱はほとんどありません。もちろんセントラルキッチンなど優れた合理化策で飲食業はコストパフォーマンス含めて多くの現実的な豊かさを生活者に提供してくれるに至りました。しかしやはりある一定以上の味を実現するためには、個人の圧倒的な関与が不可欠であることは実は誰しも薄々気付いている現実ではないでしょうか。
■クラフトと名乗るハードルを越えてきたのか
それゆえのクラフトビールです。そう考えてみると、市場投入に際してのハードルは決して低いわけがありません。ということで試してみると、まず濃い褐色クリーミーな泡立ちは我々が普段飲んでいるビールとの違いを目にアピールしてきます。穀物感と苦みを予感させる濃い香り、実際に口にしてもはっきりと濃厚、コクと甘味、苦みが混ざった複雑さを感じさせてくれます。しかものどごしがなめらか。これは明らかに一番搾りを含めての日本の定番ビールとは違う方向性です。やはりあえて近いものを言えばヨーロッパのビールでしょうか。
なるほど、これだけ違いを明確に感じられるのであれば、少し高めの販売価格も含めて納得と言えるように思います。パッケージはやや平凡、ネーミングの「スプリングバレー」が明治3年の源流たる醸造所に由来することも伝わっているとは言い難く。まして「496」は黄金比を表すマジックナンバーだそうですがちょっと理解できませんでした。
が、とは言え、ある意味大企業製品らしからぬそんな予定調和外、わけのわからなさも、手作り感と感じなくもありません。販売も好調とのこと、とにもかくにもクラフトの期待感に応える美味しさは貴重と感じます。家飲みちょっとした贅沢の選択肢が増えることは何にしても喜ばしいことと言えるのではないでしょうか。
【ブランドウォッチング】は秋月涼佑さんが話題の商品の市場背景や開発意図について専門家の視点で解説する連載コラムです。更新は原則隔週火曜日。アーカイブはこちら