「共感を呼べ!」と大きな声で叫ばれる。そのためにアップで撮影された人の表情が、ネット上、そこかしこに散らばる。人の関心をひくには、更にいえば人に行動を促すには、感覚や感情のレベルに訴えかけるべきだ、と。
しかしながら、オーストリア人の写真家、グレゴール・サイラーはまったく逆のアプローチをする。
「人の表情を撮ることは、ある意味、逃げでもある」と語る。彼は世界の真実に迫るに人のいない風景をひたすら追う。
彼のことはミラノの創作系男子でも紹介したことがある。まったく人のいない街を撮り歩いた写真は次のようなものだ。ポチョムキン村あるいはモックタウンと呼ばれるそこは、地上戦を想定した軍事目的のための「かきわりの街」だ。
今月はじめ、彼が住むインスブルックで会った。これまでミラノと東京で会ったが、はじめて彼のホームグラウンドで会った。
お互い子ども連れでリラックスしながらビールを飲む。ぼくの大学生の息子もカメラマンになりたいと思っているらしいので、アナログカメラを使い、人物は撮らない写真家と話しておくのはいいかもしれないとも考えた。
「カメラマンは今や多すぎる。そのなかで人のやらないことを自分の領域として作っていかないといけない」という彼の言葉は、デジタルカメラで撮った写真を加工し、それをソーシャルメディアに載せる「今どき」の息子の耳にはどう聞こえただろうか。
グレゴールと分かれたあと二人で夕食をとり、既に8時から9時ころには通りから人が消えつつあるインスブルックの街を散歩しながら、ミラノ生まれの息子は「毎日の生活はもう少しサイズがある活気のある街がいい。大きすぎるのは嫌だけど」と話す。
その翌々日、南チロル、すなわちアルプス山脈のイタリア側にある街に着いた。
実は、この街に迫る山の上でグレゴールの展覧会が開催中だったのだ。標高およそ2300メートルの山頂に写真美術館がある。崖から突き出たような部分がレストランになっている。
グレゴールの選んだ対象はまた人のいない建築物だ。北極圏にある各国の軍事施設を撮影したのだ。地球温暖化により北極圏の氷塊が溶け、海面が上昇すると予測されている。
悲観的な未来像が多い。東京の東側地域も海面下となる。世界の南に住んでいた人が北に住まないといけない時代が近い、と。しかし、裏を返せば、これまで「非生産的」な土地といわれたシベリアやカナダが肥沃な土地に生まれ変わることになる。
アジアとヨーロッパを繋ぐスエズ運河にコンテナ船が列を作っているが、北海航路が開拓されるとヨーロッパとアジアや北米の距離がぐっと短くなる。
今の時代に恩恵を蒙る人たちは、今の時代に悲運をかこつ人たちに何らかの僥倖の機会を提供するタイミングになりつつあると考えるのもひとつだ。
この展覧会を観る前、息子は「ぼくたちの世代には、後の世代が続かないかもしれないという危機感があるんだよ」と話していた。
「ぼくはグレゴールのような写真を撮る人間ではないけど、こういうことに人生を賭けている写真家がいる、ということはよく分かった」と後になって息子は話す。
サステナビリティという言葉が世界中に出回っている。主に地球環境に紐づいている。だが、よく見ると地域ごとに動機は微妙に違う。
例えばスカンジナビア圏では温暖化対策としてのニュアンスが強い。一方、南ヨーロッパでは「美味しい農産物を食べ続けたい」「美しい風景を失いたくない」との動機から、サステナビリティに関心をもつ。
他方、北極圏にあるロシアやカナダは温暖化により経済的恩恵がもたらせられる可能性が高い。「地球のことを考えよう!」と言いながら、それぞれに違った思惑が働いており、地球のことだから世界の人たちの考えが同じというわけではない。
新興国の人たちが「脱炭素は先進国に適用すべき政策」と主張するのも、先進国がさんざんと地球資源を使い果たし地球を弱体化させた責任を「なぜ、我々も同じように負わないといけないのか」との思いがぬぐえないからだ。
グレゴールは自身では一切そういうことを展覧会のカタログに書かない。標高2300メートルの場所で窓の外の雲を横目に眺めながら、零下55度の地域を静かに撮り続けてきた写真を見るようになっている。
彼はカナダ、ロシア、デンマーク/グリーンランド、アイスランド、フィンランド、ノルウェー、スウェーデンの各国軍事機関と交渉し、撮影許可のおりた国の軍用機で各地域に飛んだ。そのエネルギーを写真から感じる。
作為的な「共感を得よう!」に若干疑いの目をもって接するのが良いかもしれない、と思わせてくれる。そんな経験だった。
【ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。