ブランドウォッチング

オリンピックの余韻 聖火、そのきらめきと激しき熱量

秋月涼佑

 東京2020オリンピック競技大会が終わりました。振り返れば、多くの感動と興奮にスポーツの素晴らしさを実感し、共有した17日間だったというのが誰しもの素直な感想なのではないでしょうか。

 とは言え、同時に多くのスキャンダルやトラブルに見舞われたこともまた事実です。

 そもそも開閉会式会場となった国立競技場の建て替えは、世界的建築家の安藤忠雄氏を委員長とする国際デザイン・コンクールで、これまた世界的建築家ザハ・ハディド氏の案を選定し実施設計まで終えながら、やや強引な形で現在の隈研吾氏案に変更されたいきさつが、異例としか言いようがない展開でした。

 さすが当代随一の売れっ子建築家隈氏の案は、異星から飛来したかのようなインパクトと自己主張のザハ案と比べて、いかにも日本文化の文脈を感じる木材の質感や圧迫感のないフォルムが穏やかで、誰もが受け入れられる良い選択だったと思いますが、その後ザハ氏が亡くなったこともあって、わずかな後味の悪さは否めません。【筆者関連記事:隈研吾設計・新国立競技場に見る「日本人の選択」】(他サイト)

 その後も、一度は採用された公式エンブレム案のデザイン盗用を疑われ世の中の激しいバッシングの嵐の中で結局不採用となった佐野研二郎氏や、パワハラを問われてオリンピック演出の担当を外された電通菅野薫氏らの堕天使のごとき転落は、トップランナーのあまりに短時間での暗転劇だっただけにこれまた相当な衝撃を受けざるを得ませんでした。

 その後も開幕式直前まで日替わりのように新しいスキャンダルが噴出したことは記憶にも新しく、五輪に関わるものすべてが焼き尽くされかねないような成り行きは、やはり「ただ事」ではなかったという他ありません。

■圧倒的な期待感と背中合わせの可燃性

 そうオリンピックはまさに「ただ事」ではないイベントだったのです。

 昔、ある業界内のセミナーで日本航空の当時の広報部長さんの講演を伺ったことがありました。「弊社で何か不祥事があると、手がリャンハン上がる」という言い方で、あえて麻雀の役、点数計算の例えを使って自社のイシュー=世間を騒がすような出来事、事件が他企業の同様案件に比べていかに取りざたされやすく、大ごとになるかということを表現されていました。

 まさに、ベースとしての企業の知名度や社会的役割の大きさが、どんな出来事をも関心を惹き寄せ、それが不祥事であればより厳格な基準で世の中からのバッシングを受ける部分があるというお話でした。その構図は正の側面としてまずその企業への高い評価や認知があり、コインの裏表としてその声望を裏切るような不祥事に対してより激しいネガティブな感情をかきたてるというものです。

 オリンピックはそのパターンの王者バージョンなのかもしれません。圧倒的に高い理念と理想を掲げ、人々の期待感も高すぎるほど高いがゆえ、それを裏切る一切の発言や行為がその分激しく断罪されるのです。先ほどの麻雀に例えるならば、普通であれば気にも留められないような安い手でも満貫、いや役満の振込になってしまうとでもいうのでしょうか。すさまじい「可燃性」という言い方もできるかもしれません。

■高い理念があってこその駆動力

 逆に言えば、もちろんオリンピックはそれだけ素晴らしい評価と期待感をもたれるほど優れたイベントであり、最高のブランド力ある大会だったということの証左でもあります。この大会の輝かしさについては、今まさに多くのアスリート渾身の演技や、死力を尽くした試合を目撃した我々は確信をもって証言できるに違いありません。

「国や人種を問わないスポーツの祭典」という誰もが共感、尊重する他ない圧倒的なコンセプトの力は、1896年の第一回五輪となったアテネ大会以来歴史的な積み重ねを含めて唯一無二のステータスと説得力を確立してきました。振り返れば戦争での中止やテロ、ボイコットなど平坦な歴史ではなかったわけですから、今回の東京大会の厳しかった部分も五輪の歴史を鍛える要素として消化されていくのかもしれません。そして、そんな困難を乗り越える上でも、何より理念の正しさとパワーは力になるに違いないのです。

 もちろん五輪マークや聖火などその理念を可視化した文字通りアイコニックな表現手法も秀逸極まるものではありますが、上位概念である理念の確かさ、志の高さこそがそれに伴うすべてのアウトプットレベルを規定する良き事例でもあろうかと感じます。【関連記事:「世界遺産」 ブランドを授ける者のブランド力】

 近年、ブランディングもさることながら、企業経営の視点でも理念や企業の存立理由「パーポス」を定義、確認することの重要性が認識されていますが、まさにオリンピックの良き部分からは正しき「パーポス」その駆動力のパワーを教えられる気がします。実はそんな感慨は、今回男子サッカーチームのたくましき成長の姿からも、背景として1996年「Jリーグ百年構想」で市民参加や地域社会へのサッカー文化の浸透のビッグピクチャーを描いた日本のサッカー関係者の歴史的取り組みがあったことを思い出させてもくれました。

■SNS時代のオリンピック

 一方で、好事魔多し、それほどの美点満載のオリンピックもコロナ禍という特殊背景があるとは言え、現に今回多くの有形無形の事象が大炎上したこともまた事実です。すべてをコロナだからと総括してしまうことは簡単かもしれませんが、もう少し普遍的な時代背景としては、やはりネット、SNSがあることは間違いありません。情報の非対称性と言われる、良くも悪くも大手メディアだけに情報量と発信手段が独占されコントロールされていた時代と違い、誰もが発信し、拡散する時代は、そもそも情報に火がつきやすい環境ですし燃え広がり方の速度も尋常ではありません。

 ましてそれが、オリンピックという最高レベルの情報価値、そして可燃性の高さを秘めるイベントであればこそ、そんな時代と反応したときのすさまじさをも我々はまさに目の当たりにしたのです。

 かつては確かに「悪名もまた無名に勝る」という時代が間違いなくありました。ただ、今回炎上の当事者となった専門家やクリエイターの中には再起が危ぶまれるほどのダメージを受けた人も多く、前回の東京大会が表現者にとってハレの舞台、世に出るための一世一代の大チャンスというシンプルな認識だけで済んだ時代と様変わりしてしまいました。

 それでも聖火は、冬季大会を合わせるとこれからも2年に一度灯され続けることでしょう。スポーツの醍醐味、アスリートの輝き、きらめき、華々しさ。同時に同じ熱量が業火と化し得る恐ろしさ。

 少なくとも我々が、たった今歴史的な体験をしたことだけは間違いないように思うのでした。

秋月涼佑(あきづき・りょうすけ) ブランドプロデューサー
大手広告代理店で様々なクライアントを担当。商品開発(コンセプト、パッケージデザイン、ネーミング等の開発)に多く関わる。現在、独立してブランドプロデューサーとして活躍中。ライフスタイルからマーケティング、ビジネス、政治経済まで硬軟幅の広い執筆活動にも注力中。
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