創業112年を迎えた「講談社」が新ブランディングを開始したと聞いて少々意外な感じがしました。
出版社まして最大手の「講談社」といえば、東京都文京区音羽本館の伝統と風格ある社屋が表象する、活字に刻まれた歴史の積み重ねをもって自らのアイデンティティーとする重厚さが持ち味です。まして協業したのがNetflixやナショナルジオグラフィックなど世界的メディア企業のブランディングを手がけたニューヨークのクリエイティブスタジオ、グレーテル社だと言うのも、日本語そのものを扱う仕事柄から必然日本国内市場を主戦場にしてきた企業の取り組みとして異例さを感じました。
ニューヨーク、ブルックリンのカフェでの創業家出身の野間社長とグレーテル社のハーン代表の出会いから始まったコラボレーションというところも、すでにドラマの一場面のようなオシャレな物語性があります。
それにしてもその背景にあるのが、さしもの大手老舗メディア企業講談社でさえ、これからは世界市場を視野に入れなければとても生き残れないのではないかという、ネット時代のパラダイムシフトに対する強烈な危機感があることは言うまでもありません。
■日本のメディア産業を支えてきた日本ならではの地政学
パソコン、スマホ、ネットは現代人の生活や社会のあり方全般を劇変させましたが、そんな中でもメディア産業は明らかに震源地に近い場所にいると言えます。グーテンベルク以来の活版印刷技術は文字情報、画像情報を多くの人に伝えることを可能にし、さらに映像や音声の電波送信技術がマスメディア産業の黄金期と広告モデルの情報提供力を触媒にした、大量生産、大量消費のライフスタイルを実現しました。
世の中を豊かにした、その歴史的成功は疑いのないものに違いありませんが、文字、画像、映像、音声今やすべてのコンテンツをネット経由でストレスなく送受信できる時代となり、この先さらにどんな変化が待っているのか完全に予測することは誰にとっても難しい時代です。
特に、日本のメディア産業について言えば、日本独特の地政学が特に肥沃な恩恵を与えてきた”ならでは”の理由もあります。
一つに、世界11位1億人を超える人口と可処分所得の大きな自国市場。二つに、一方での広くもない国土に9割が世界的基準でみれば都市生活者というコンパクトな生活圏指向のライフスタイルです。
この日本人にとっては至極当たり前でも世界を見れば例外的な条件が、日本のマスメディア産業に効率の良い後背地を提供し、生態系を豊かに育んできたのです。より具体的には、テレビ・ラジオはこの地理的条件があってこそ効果的な電波カバレッジが可能でしたし、新聞は毎日の新聞宅配を効率よく行えることで世界最大の発行部数という基盤を確立しました。
さらには、豊かで人口密度の高い生活者集団が、広告モデルを最大限機能させ、ますます産業としてのメディアの存立を強固なものにもしました。結果、日本の有力メディア企業はどんどん大手化し、大きな予算で世界有数のコンテンツ制作開発能力を磨き、一方の生活者もその豊穣を享受する幸福な関係を築いてきたのです。
■1億人と10億人の市場がもつ決定的な差
この日本ならではの事情は雑誌・書籍においても例外ではなく、どの街でも読者が手軽に手を伸ばせる書店網とそれを支える配本流通が整備され、それに加えて大都市ではかつては駅売店、今やコンビニエンスストアも含めて手厚く売り場が提供されてきました。
ですが、まさにネットがそのパラダイムを大きく変えようとしています。もはやすべてのコンテンツはネット経由で供給することが可能な時代となりました。
こうなってくると、日本のメディア企業の広告モデルにしても、悪いシナリオを考えれば、グローバルなプラットフォーマーの第2階層(ティア2)に押し込められ、今までのような価格決定権を維持できず、低収益を甘受せざるを得ない未来も十分起こりえます。実際に、すでにネット上での広告モデルプラットフォーム生態系の最上位には間違いなくGoogleやFacebook、Twitterなどが君臨し大きな影響力を行使するようになりました。
かつてのように日本の巨大メディア企業と広告代理店が、国内メディアの広告枠を独占販売してきた状況はすでに過去のものとなりつつあるのです。
また、日本の生活者にとっては、究極この状況を突き詰めていけばデジタル植民地的なメディア環境さえ考えられます。要は多くのメディア接触が、Google、YouTube、Netflix、Amazon、ディズニーなどグローバルプレイヤーのプラットフォームを通じてなされる時代が現実になるかもしれないのです。
英語圏の人口は約10億人、今後人口減が予測される実質日本だけの日本語圏は1億人を加速度的に割り込みますが、メディアコンテンツ企業にとって相手にする市場規模が決定的な意味をもつことは自明です。
■世界に日本のコンテンツここにありと示して欲しい
足元は「鬼滅の刃」などマンガ作品の大ヒットもあり、現象傾向に歯止めがかかったかに見える雑誌・書籍市場ですが、リアルな印刷物としての市場の先行きはネットコンテンツとの可処分所得の取り合いも考えれば楽観を許さないのは当然と言えます。
そもそも、印刷・製本・配本に係る原価費用が高額な雑誌・書籍は本来的に贅沢なメディアです。筆者などはその贅沢さゆえどんなに同じ内容をデジタルメディアで読める時代にあっても、手に取って読める価値観やグラビア写真の迫力で生き残るのではないかと考えていますが、一方で出版社にとってさえネット配信の収益化は経営戦略上避けて通れない課題ですし、ネットの制作・配信コストの相対的な安さはチャンスであることも間違いありません。
縮小均衡することなく、大手のメディア企業としての生き残りを図るのであれば、ネットでのプラットフォームを確立しかもそれを英語圏を視野に入れて実現することが不可欠な企業戦略に違いないのです。
今回の講談社のブランディングは、まさに英語圏をはじめとするグローバルのマーケットを視野に入れたものです。新ロゴの書体は手書きを感じさせる繊細なもので、普遍的な知的さを感じさせます。
クリエイティブとは不思議なもので、同じ文字を図案化しても、制作者の国籍や文化的バックグラウンドなど必ず反映してしまうものです。そういう意味で、日本人が英語市場を中心にするグローバル市場向けのデザインを想像でストライクゾーンに投げ入れることは現実には難しいのも事実です。海外チームと作りあげた今回のブランディングのアプローチはまさに目的に対して整合的で、さすがに「分かってらっしゃる」と感じる部分です。
逆に言えばこれからの講談社自身が真に世界に自らのコンテンツを発信するためには、ただの翻訳的な発想を超えた、出発点からグローバルなバックグラウンドを体感理解している編集者やクリエイターの養成が不可欠ということだとも思います。それは言うほど生易しいこととは思えませんが、創業家出身の若き社長がリーダーシップをとった新ブランディングに、まざまざとその志が表現されていることは間違いないように思います。
ぜひ日本を代表するメディア大手の一角、講談社にこそ、世界に日本のコンテンツここにありという発信を期待したいと思います。
【ブランドウォッチング】は秋月涼佑さんが話題の商品の市場背景や開発意図について専門家の視点で解説する連載コラムです。更新は原則隔週火曜日。アーカイブはこちら