ローカリゼーションマップ

フランスから日本に帰って心のチャージを 自分に正直に生きる強さ 塚嵜友子さん

安西洋之

「心のチャージをしたいと思って、フランスから日本に戻ると決意したことを記事に書いていいですか?」とぼくが塚嵜友子さんに尋ねると、「いいですよ。今の実際以上に精神的にタフな女性だと誤解されるのも本意じゃないので」と彼女はZoomの向こうで笑って答える。

ライフスタイルと社会実践の授業でのグループワークの時の写真です。更年期をビジネスのきっかけにしたらどうなるか? というテーマで発表しました
中国人の友人のお誘いで、パリ・ファッションウィークに参加させていただいた時の写真です
ホストファミリーの地方の親族の家で、彼らの姉妹や従妹たちが集まり、子どもや孫の面倒をみながら、皆でマスクなどを作っていたときの写真です

 塚嵜さんは日本の大学を卒業して1年間、東京のデザイン会社でインターンとして働いた。そして2019年夏、フランス北部の街、リールの大学修士コースで「クリエティブとソーシャルイノベーション」を学ぶ。

 リールはかつて毛織物や石炭の産業が盛んだったドイツとベルギーに近い人口114万人強の街(メトロポール)だ。このタイプの街のご多分に漏れず、失業者が多く住民の経済格差が課題だ。ソーシャルイノベーションのワークショップでは貧困問題に真正面から立ち向かうことになった。そこで2つの違和感を覚えた。

 まず貧困を課題とすること自体に対する違和感だ。問題の中に入り込むか、距離をおくか、どちらかにしか自分の立ち位置はないのではないか? との疑問がついてまわった。もう一つは、グループ内も含めて同級生たちの中に、アラブ系の移民や現地の貧困層にどこか「他人事」という姿勢を示し続ける人もいて心がざわついた。

 ただ、パンデミックにおいて自分も含め仲間たちの心に余裕がないことが、自分の複雑な気持ちに繋がっているとも想像した(ぼくの息子がミラノの大学生ということもあるし、何人もの留学生の生活の様子も知っている。ソーシャルディスタンスの学生生活への影響は大きく、学生たちの心の揺れは想像以上のものがある)。

 そのため昨年夏から10カ月間、フレグランスとフレーバー事業をコアとする大手企業のパリ郊外にあるオフィスでインターン(のちに契約社員)として働いた。次の道として、とりあえず6月には日本に戻り、9月から日本の会社で正社員として働くことにした。

 この心持の変遷ついて触れていいか? と、ぼくは塚嵜さんに確認した。「心が弱いタイプ」として読者に印象が残ることが彼女のキャリアにとって不利にならないか? と案じたのだ。

 冒頭に記したように、彼女の答えは素直で無理がないものだった。

 日本に戻って家族と生活したいと思ったのもある。塚嵜さんは高校・大学時代と京都の寮で生活したので、15歳から一人暮らしだった。東京での1年間のインターン生活で久しぶりに横浜の実家で生活したが、パンデミックを機に、家族の存在の大きさを感じた。また、リールでホストファミリーに溶け込んだ結果、日本の家族と時間を過ごすことも今の自分にとっては大事だと感じたのだ。

 小中学校の時は英国において生活したことがあるが、フランスでの生活は初めてだった。その生活を始めておよそ半年後にパンデミックになった。

 ソーシャルディスタンスが必要な社会が到来した。もともとフランスでの他人との距離感の取り方が不案内なうえに、新たな距離が要求された。どのタイミングで他人の領域にどう踏み込んでいいものなのか、フランス人同士さえもが戸惑っているところに日本からの留学生が立ち向かうのは、相当にややこしい。

 しかし、予想外の展開のなかでも塚嵜さんは前進した。昨春はリールのホストファミリーやその親戚と一緒に布マスクを作り近所の人たちにも配り、修士論文は「日本のクラフト製品の欧州進出の仕方」をテーマとして高得点を得た。

 インターンをした前述のフレグランスの企業では、環境のサステナビリティと自然素材をテーマに事業を企画するセクションに配属され、サステナビリティや自然素材に配慮するクライアント企業の商品開発を間接的にサポートする仕事を経験した。

 裏を話せば、パドカレ地方観光局でのインターンが内定していたのだが、パンデミックも考慮して辞退し、ほうぼう探したのちに見つけた職場がフレグランスの企業だった。この経緯を聞いて、実力もさることながら彼女は運がいいと思った。

 運がいいというのは、職場が見つかったことだけを指すのではない。

 塚嵜さんが選んだインターン先は、彼女が大学院で勉強した「クリエティブとソーシャルイノベーション」がバッチリと活かせるところだからだ。社会に変化を導くには文化創造が必須だ。それには理性だけでなく感覚的なところが鍵になる。彼女が触れた香りの仕事は、まさにその世界だ。

 しかも、世界中の企業が環境上の制約を前に社会価値の転換に向き合っている前線を経験する場だ。

 当初、塚嵜さんは環境NGOやアートを核とした文化ビジネスが卒業後の自分の職場になるだろうと想定していたようだ。ただ、ご本人は気づいていなかったようだが、新しいラグジュアリーとソーシャルイノベーションの結びつきをリサーチしてきたぼくの目に、彼女が積み重ねている経験は王道にみえる。

 「日本で仕事して次を考えていますか?」と聞いてみた。「また機会があれば、もう一度ヨーロッパで働きたいです。というのも、フランスが嫌いになって帰りたいわけではないのです。生活の中で使ったりしているものへのこだわりと、それを家族や友達と楽しむ余裕を持つ文化が好きです」と即答がきた。

 塚嵜さんのことは彼女が大学生の頃から知っているが、自分にとても正直に生きているようにみえる。そう生きられるのが一番強い。

安西洋之(あんざい・ひろゆき) モバイルクルーズ株式会社代表取締役
De-Tales ltdデイレクター
ミラノと東京を拠点にビジネスプランナーとして活動。異文化理解とデザインを連携させたローカリゼーションマップ主宰。特に、2017年より「意味のイノベーション」のエヴァンゲリスト的活動を行い、ローカリゼーションと「意味のイノベーション」の結合を図っている。書籍に『「メイド・イン・イタリー」はなぜ強いのか?:世界を魅了する<意味>の戦略的デザイン』『イタリアで福島は』『世界の中小・ベンチャー企業は何を考えているのか?』『ヨーロッパの目 日本の目 文化のリアリティを読み解く』。共著に『デザインの次に来るもの』『「マルちゃん」はなぜメキシコの国民食になったのか?世界で売れる商品の異文化対応力』。監修にロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』。
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ローカリゼーションマップとは?
異文化市場を短期間で理解すると共に、コンテクストの構築にも貢献するアプローチ。

ローカリゼーションマップ】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが提唱するローカリゼーションマップについて考察する連載コラムです。更新は原則金曜日(第2週は更新なし)。アーカイブはこちら。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ミラノの創作系男子たち】も連載中です。