春が来た。入社式、入学式も終わり、会社や学校にフレッシュな仲間が加わった。
新型コロナウイルス感染拡大から一年が経った。都市部を中心にまだ感染が広がっており予断を許さないが、ワクチンの接種もまだまだ広がっていない中でも、会社や大学ではじわじわと対面でのイベントが復活している。入社式も対面での開催が復活しつつあり、大学の入学式はむしろ対面が主流のようだ。
ちょうど勤務先の大学でも入学式が行われた。コロナ前までは新入生全員で行っていたが、コロナ対策で学部を分け二部制となった。プログラムも大幅に絞り込み、来賓からの挨拶などはなし。校歌斉唱も伴奏のみで、保護者はオンライン視聴だった。それでも、学生たちが揃う姿に感動し、キャンパスでの日々が復活していることを実感した。7割を超える科目が対面での実施となる模様だ。
大学においては昨年、入学式に参加できなかった2年生向けの入学式を開催する動きもある。この1年間のコロナとの闘いを労う意味でも、大学生になったことの自覚を持つ意味でも、気持ちを切り替える上でもナイスな取り組みだ。
春に起きやすいメンタルのトラブル
ところで、「四月病」という言葉があることをご存知だろうか? 春に起きやすいメンタルのトラブルである。

新年度の変化に悩み、疲れたところにゴールデンウイークがやってくることで、会社に行くのが嫌になる状態を「五月病」と呼ぶ。一方で「四月病」は、新年度についついテンションが上がり、何かと意識高く目標を設定したり、新しい取り組みをすることで疲れてしまったり、燃え尽きてしまうことを指すようだ。
「ようだ」とやや不明確な書き方をしたのは、新しい現象であり、定義が定まっていないからだ。「5月病」同様、医学的な病名ではない。何でもかんでも「病」とつけるのはいかがなものかと思うが、ここ数年使われ始めている言葉ではある。
より具体的に説明しよう。次のような人は周りにいないだろうか?
・上司との目標達成面談で、いきなり高すぎる数字を設定する
・先輩に対する下剋上などを宣言する
・突然、オンライン異業種交流サークルを立ち上げる
・習い事をいくつも始める
・突然、TOEIC990点をとると宣言しだす
・春だからとやたらと環境を変えたがる
いや、気持ちはわからなくはない。私自身も、シェア農場を借りたり、1年後にボディビルのコンテストに出ると決め白米を食べることをやめ、筋トレに没頭するなど、意識がRISING、RISINGである。一方、頑張りすぎても成果が出ず、結果として疲れてしまうということがある。意識が高すぎて、まわりが引いてしまうということもあるだろう。
ここではっきりと言っておきたいのは、そもそも、春はそんなに楽しいものなのか? たしかに、春というと、何かウキウキする人もいることだろう。暖かくなると、気分も上がる。エリアによっては雪がとけて歓喜する人もいることだろう。桜が咲き、花見をするとさらに気持ちが高まる(今年は何かと規制されたが)。
一方、たくさんの嫌な想いもしてこなかっただろうか? 他人の出世に焦ってしまったことはないか? 不本意な異動に困惑してしまったことや、会社や社会の未来に不安を抱いたりしないだろうか。そういう視点で見ると、春は「楽しくないシーズン」なのだ。それを吹き飛ばすほどの、この浮かれた空気はまさに“自然の力”といえる。
「4月病」を防ぐためには…
「4月病」「5月病」を防ぐために、私がこの春すすめることは「意識普通系」でいこうということだ。常に平常心を保つこと、悲観も楽観もしないことである。
このコロナと向き合う時代に、大事にすることがあるとしたら、心と体の健康を維持することだ。もっと言うならば、快適にはとことんこだわることである。衣食住の見直し、健康に関わることの見直しを始めよう。
私が最近、意識的に取り組んでいるのは、住まいに植物を増やすことである。これがあるだけで気持ちが安らぐ。世話をすることで生きている感覚を取り戻すことができる。
季節や環境の変化に流されず、息抜きながら生き抜こう。そして、休むことをサボらずにいこう。
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