本連載はクリエイターと称する人たちだけを紹介しているわけではない。即ち、アーティストやデザイナーなどだけでなく、自分自身で独自の人生を切り開いている(=クリエイティブ)と思われる人に会って話を聞いてきた。
今回はいつものように誰かにインタビューするのではなく、このテーマに関するぼく自身の考えを書きとめておこうと思う。
実は、数年前、他のメディアでイタリア人の趣味生活を連載したことがある。1年半ほどで30人を取り上げた。その時に重視したのは、次のようなことだった。
人生とは小さな経験の積み重ねだ。あることは自分の意志とはまったく関係なく偶然に遭遇した状況で獲得する経験であり、あることは自分の意志で立ち向かい、上手くいくかいかないかは別として、そのプロセスのなかで獲得する計画的な経験である。
あえて若い世代とその上の世代の違いを言うと、若い人の心には、上述の偶然に出逢う小さな経験のそれぞれがお互いにどう繋がるか分からない苛立ちが潜んでいる。
「こんなことをやっていて、何の役に立つのだ!」「これをやろうと思ったが、散々な結果になってしまった・・・」と悲嘆しがちだ。
しかしながら、ある世代になると小さな経験の数々が後になって統合される。または小さなことが大きなことに繋がる実体験をもつようになる。ピンチはチャンスだと身体で知っている。だから、小さな不運も鷹揚に受け止める、あるいは楽観的になりやすい。
趣味も例外ではない。仕事に活用する目的で趣味を選べば趣味とは言えないが、結果的に趣味と仕事は考え方などどこかでつながってくる。そこで以前の連載では、仕事や家庭生活が趣味生活とどう相互に影響し合うか、それらが生き方のなかでどう統合される。これらをインタビューの焦点においた。
インタビューの対象は40代以上が多かった。
この経験を踏まえて、本連載を続けている。そのまま路線を踏襲しているわけではない。年齢でいえば30代の前半まで枠を広げている。これからもっと下げるかもしれない。それには理由がある。
起業家精神が旺盛な人は、小さな経験が何かに貢献する可能性に比較的早い年齢で気づくという傾向に注目したいと思ったのだ。
「できるだけ多くのピッチに立つ」大切さを認識している。そうするとピッチに立てるための環境を自分で用意するか探し出し、立てるチャンスがあれば必ず食らいつく。
この行動における工夫がクリエイティブである。ある人と会って関係を築きたい。あるコミュニティのなかに入り込みたい。そのためには何らかの「贈り物」を人かコミュニティにもたらすよう、頭を思いっきり使う。
言うまでもなくピッチに立てば、良い結果を得るためにいや応なしにもっとクリエイティブにならざるをえない。濃厚な人生を送る人とは学びが早いのだ。こういうエネルギーを出し惜しみしない人にインタビューしたいとの想いに、ぼくは駆られる。
世間でよく使われる表現を参照すれば、「面白がるのが好き」「何をするにも遊びの部分を大事にする」という人たちになるだろうか。もちろん、軽薄とか落ち着きがないとか、そういう否定的な言葉で潰されてしまわない人たちである。仮に言われたとしても、それらの批判などはなから気にしないタイプとも言える。
ある意味、どんなネガティブなことにもポジティブな解釈をしてしまうのがクリエイティブな人なのだ。
常に笑顔であるかどうかはさておき、性格として明るい。行き詰ってふさぎ込むのが似合わない。人間、誰でもふさぎ込むことはあろうが、それが似合うかどうかという問題は別にあるように思える。
これらの条件をすべて提示して、例えば、友人に取材対象の人の紹介を頼んでいるわけではない(そういうお願いをして紹介された場合、あまり面白い人に出逢わない)。また、ぼくがたまたま知りあう人の条件を明確にしていることもない。
だが、どういうわけか、特に意図せずともそういうタイプに出逢うことが多い。まったく別の要件で知り合いながら、「インタビューしてみたいのですが」と思わず言ってしまうのである。
兎に角、この連載に書くかどうかとは関係なく、常にぼくは人探しをしている。新しく誰かと出逢うことが、次に一歩進むためのすべてだとさえ思っている。
だからスウェーデンのグレタ・トゥーンベリの始めた、金曜日に学校に行かず、街中で環境問題のデモ活動をしている学生たちにも興味はある。そこでクリエイティブに輝いている子たちは、将来、何がしかのことをするかもしれない。
できるだけ会える人は躊躇なく会っていきたい。そこからしかスタートしない。
【ミラノの創作系男子たち】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが、ミラノを拠点に活躍する世界各国のクリエイターの働き方や人生観を紹介する連載コラムです。更新は原則第2水曜日。アーカイブはこちらから。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ローカリゼーションマップ】も連載中です。