【ビジネスパーソン大航海時代】アマゾンのサムライは日本のユニコーンを育む~航海(18)

 
畑浩史さん

 米IT大手のアマゾンについてはSankeiBiz読者であればご存知のことでしょう。今回は、その日本法人のひとつであるアマゾン ウェブ サービス ジャパン(AWS)社の畑浩史さん(スタートアップ事業開発部本部長)についてお話させてください。

 畑さんは大学卒業後にIBMにSEとして入社、9年を経てスタートアップの創業メンバーとなったのちにミスミへ転職し新規事業立ち上げ、推進を行ったそうです。いまはAWSでスタートアップの支援をされています。

 誰もが知っている大企業からスタートアップに転職し、そしてまた大企業へと転身するという怒涛のキャリアを歩まれたわけですが、経緯を伺ううちに、ひとつの大きな物語が織りなされ構成されていると感じ入りました。

 みなさまの勇気になりますと幸いです。

 それではインタビューをご覧ください。

 「やりたいことが見つからない」から成長業界へ

 畑さんはどのような生い立ちなのか。まずそれから紐解いてまいります。

 どのような子供時代を過ごされていたのですか?

 「父はサラリーマンとしてメーカー営業を務め、母は主婦という両親でした。子供の好きにやらせるという教育方針でしたね。それもあったのか、小中高生から新しいもの、人と違うことに興味を持っていたと思います」

 高校・大学時代はどのようにすごされていたのですか?

 「高校生になった時に、“ならでは”の新しいことに挑戦したいと思ったんですよね。そこで、アメフト部に入部しました。中学生の頃にはない新しい部活ですからね。大学に入った後は母校の高校でアメフトのコーチをしていました」

 同じアメフトという部活でもプレイヤーからコーチに転身されたのですね。

 「はい。自分の代では試合終了30秒前にまさかの逆転負けし、涙を流すほどの悔しい思いをしたので、コーチとして雪辱を果たしたいと思ったのです。ことアメフトはコーチとして試合にともに参加します。事前に戦略を立て準備し、試合中はその場その場で意思決定し、チームをマネジメントできることも魅力でした。アメフトというテーマが同じでも関わり方が違うことでより深く学ぶことができます」

 ご自身の進取の気性と、経験が活きる場所という着実性があいまっていそうですね。

 「当時はそこまで考えていなかったのですが、学び続ける・学びを活かすというのは私のキーワードかも知れません。アメフトのコーチで学んだマネジメントの経験は間違いなく社会人でも役に立っています」

 なるほど、充実された部活動を過ごされたのですね!就活はいかがでしたか?

 「それが、やりたいことを考えに考えたのですが見つからなかったのです(笑)。ここまで考えてないならば“ダーツの真ん中はないかも”と思い、当時盛り上がりつつあったIT業界で新たな職業として出てきたSEになることをまず決めました。それに加え、成長する会社に就職しようと思い、スタートアップ、当時はベンチャーといわれていた企業向けに就活をしました」

 なるほど、ここでも進取の気性がでていたわけですね。

 「そうかも知れませんね。職種や企業ステージを絞って就活をしていたら面白いことに気づきました。面接に行く先々で“IBMと仕事をしています”“IBMの技術を取り入れてます”など、“IBM”を売りにしていた会社が多かったのです」

 なるほど!必ず言葉が出てくるわけですね。となると…

 「はい。そこで“それならばIBMに行った方がよいのでは?”とIBMに絞りこんで就活を変更しました(笑)。そして運良くIBMに入社するわけです。当時Windows95が発売された直後で“これからこの市場が盛り上がるぞ”とワクワクしましたね」

 たった6行で決めたIBM退職

 IBMではどのようなことに携われたのですか?

 「まず、大手通信会社のメインフレームという大型コンピュータのシステムにSEとして携わりました。7年間です。システムに感情移入するくらいにめちゃめちゃハマりました」

 進取の気性なのにどっぷりとハマったわけですね。

 「これは自分にとって大事なインプット期間、鍛錬の場だと思っていました。昼夜問わず働きまくっていたので、次に“システムの外、人間系の仕事をしてみる”と決めました」

 さすがの意思決定ですね(笑)。

 「IBMに入社して8年目、SEではなく、コンサルとしてプロジェクトに入ったのです。これも非常に良いインプットになりました。同じプロジェクトで自分を鍛えてくれた非常に優秀な歳下コンサルタントがいたのですが、自分の運命が変わる出会いでした」

 そうなのですね。どのように運命が変わっていくのですか?

 「彼と一緒に仕事をし多くのことを学び育ててもらったこともあり、プロジェクトが終わった後も彼をウォッチしていたのですが、その彼がIBMを退職するという噂を聞きました。そこで連絡をしたのです」

 なるほど。どんな感じに?

 「社内のチャットで“やめるの?”(私)→“はい”(彼)→“何やるの?”(私)→“スタートアップ”(彼)→“畑さん来ます?”(彼)→“うん、行く行く”(私)と、わずか6行で彼とスタートアップの創業メンバーになることにしました(笑)」

 それはすごい!9年間もハマり切った会社、しかも大企業をすぐに…

 「ここも進取の気性でしょうね。リスクだとは全く思っていなかったです。なにより今までのインプットを通じて、ワクワクすることに巡りあった、そういうタイミングが来たのだと感じていました」

 スタートアップに転身されるわけですがどんな会社だったのでしょうか。

 「病院の予約システムを企画開発し、広告を掲示することでコストも抑えられるという事業を手掛けていました」

 なるほど、病院の待ち時間は我々患者にとって非効率ですものね。可能性がある事業ですね!

 「はい。当時は“注目のヘルスケアベンチャー”のように目されており、 ベンチャーキャピタル(VC)から資金調達もしていました」

 順風満帆ですね!

 「最初はほんとうにそうでした。なによりサービスを病院・患者さんなど関係者全員が喜んでくださるので充実していました。そしてIBMでは組織人としてプロジェクトにトップダウン式に関わっていたわけですが、スタートアップでは自分の権限と責任が良い意味で持てるので、様々な挑戦ができるということに、知的好奇心を持ちました」

 素晴らしいですね!その後はどうなりましたか?

 「導入いただけると長く使われるのですが、業界構造を背景にVCが期待するように劇的に導入数を伸ばすことはできませんでした。無念でした」

 なるほど…

 「キャッシュが厳しくなったので組織を縮小し、そのまま自分がコストとして残り続けるわけにもいかないので、自分自身を切る形で退職しました」

 その時のお気持ちは?IBMを辞めたことに後悔を感じましたか?

 「後悔は全くありませんでした。良い経験をさせていただいたなと。自分の責任で仕事ができたわけですからね」

 強いですね!

 「いえ、精神的な話ではなく、自分が意思決定したことに対して全うしたので、活かして次にいけるじゃないですか。実際私は次にミスミという会社で新規事業に関わったのですが、その入社面接では私のスタートアップでの失敗経験が評価されたと思っています」

 なるほど、失敗経験が採用にも活きるというのは勇気がでますね。確かに挑戦したことがある人を採用したくなるものですよね。

 「そうなのです。リスクは過大に捉えるべきではないと思います。例えばスタートアップへ行くことをリスクに感じる方も多いと思います。でも、そのリスクとは具体的に何なのか?を考え抜いてみると、意外に大したリスクではないものです。別に殺されるわけではないですからね。そして意思決定をしたら、その時その場でインプット・学び続けることができれば必ず活きる場が後に来ると私は思います。特にこれからの日本においては挑戦する人材が求められるでしょう」

 「誰も取り組んでいないことに挑戦し続ける。それもみんなで」

 そして、いまのAWSに入られることになりますよね。どのような流れだったのですか?

 「はい。実はミスミを辞めた時には転職先を見つけていなかったです(笑)。自分の性格的に就職しながら転職活動は出来ないなと」

 いかにも畑さんぽいですね。潔いサムライのような性格。

 「というよりも、焦って意思決定したくなかったのです。それとこれまで全力で取り組んできた経験があるので、“なんとかなるだろう”という楽観的な思いもありました。そこで冷静にIT市場を見渡してみると、当時2013年だったのですがクラウドが伸びてきていました。なかでもAWSが伸びていたのです」

 ということは…

 「はい。AWSに連絡をしました(笑)。そこにはIBMの新卒同期が3人働いていたのです。入社するためには選ばれる身ではありますが、私も同じく選ぶ立場です。そこで元同期にAWS社内の雰囲気などを確認したところ、私の気性とマッチしていると感じました」

 さすが、冷静に意思決定をなされたのですね。しかし自分にマッチしているだけでは入社できませんよね

 「そうですね。AWS側のニーズとしてはスタートアップにAWSのサービスを普及させていきたいというビジョンがありました。そうなると、私のスタートアップでの経験やSEであったこと、そして新規事業の立ち上げにも取り組んでいたことなどがバチッとハマるわけです。当時、クラウドの波に乗るのはちょっと遅いかなっと思ったのですが、間に合ってよかったです」

 美しいですね、いままでの集大成と感じます。その後どのようなことに取り組まれたのですか?

 「スタートアップにAWSのサービスを普及させるということは、AWSを通じてスタートアップを支援するということと同義です。そこでAWSらしい新しいことに取り組んでいきました」

 もう少し教えてください。

 「はい。大小様々なことに取り組んでいくことになるのですが、技術者に寄り添う施策を打っていきました。例えば、TechCrunchというIT業界媒体とともにその年の技術者を称賛するイベントである“CTO of the year”を開催したり、IVSというスタートアップの祭典で“CTO Night and Day”を開催し、世の中のCTO(チーフ・テクニカル・オフィサー、最高技術責任者)にスポットライトをあてる活動を開始しました」

 そしていま取材させていただいている、この場所『AWS Loft Tokyo』も開設されたわけですね。

 「はい。AWS Loftはもともと米国サンフランシスコとニューヨークにありました。私はチームメンバーとともに日本でAWS Loftが開設できるように働きかけていきました。いままでの日本の中でのスタートアップ支援活動や様々な企業、スタートアップがAWSをご利用して下さっているという状況を踏まえて、グローバルで3番目に開設させることができました。ここは技術者が無料で使えるコワーキングスペースであり、AWSのエンジニアが常駐しているのでいつでも質問ができます」

 技術者にとってパラダイスですね!

 「日本はユニコーン(評価額10億ドル以上の非上場、設立10年以内のベンチャー企業)が少なく、その理由の一つにスタートアップで働く技術者や、エンジニア起業家不足が挙げられます。私はそれらの方々を増やし、結果として技術に尖ったユニコーンが生まれて欲しいと思っており、AWSを通じてその土壌を作っていきたいと思っているのです。そのわかりやすい事例が『AWS Loft Tokyo』です」

 最後にSankeiBiz読者の方にメッセージをお願いいたします。

 「振り返ると、私は関わる人が喜ぶこと・自分が属する会社のミッション・自分のやりたいことの3つを重ねて心を砕いて活動してきたように思います。最初は自分がやりたいと真に言えるものは見つけられていなかったのですが、その時その場やりきることでインプットを増やし、俯瞰してやるべきことを見つけられるようになり、ワクワク感とともに実行し、徐々に自分をアップデートしてきました。その時の経験が、後の何に活きるかはその時は分からないですが、だからこそ、ご自身がやりたい、ワクワクを感じるテーマにその時その場、全力で向き合うことが次のご自身につながっていくことなのではないでしょうか」

 畑さんありがとうございました。

【プロフィール】小原聖誉(おばら・まさしげ)

株式会社StartPoint代表取締役CEO

1977年生まれ。1999年より、スタートアップのキャリアをスタート。その後モバイルコンテンツコンサル会社を経て2013年35歳で起業。のべ400万人以上に利用されるアプリメディアを提供し、16年4月にKDDIグループmedibaにバイアウト。現在はエンジェル投資家として15社に出資し1社上場。
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ビジネスパーソン大航海時代】は小原聖誉さんが多様な働き方が選択できる「大航海時代」に生きるビジネスパーソンを応援する連載コラムです。更新は原則第3水曜日。アーカイブはこちら