キャリア

ホリエモンが社員を「切り捨て」てきた真意 サラリーマン社会も楽な方に変えられる

 本当にそれは必要ですか? 良くも悪くも、あなたの持ち物は重くなってはいないでしょうか。大切にしていた「はず」のモノで、逆に心が押しつぶされそうになってはいないか。だから、ビジネスも人生も「捨てる」ことからはじめよう。「これから」を、病まないで生きるために。

 僕は「時代の寵児(ちょうじ)」と呼ばれてから一転して逮捕・収監を経験しました。その後、令和元年、ついに日本初の民間ロケット打ち上げ実験を成功させることができました。その折々にあったのは「捨てること」「持たないこと」を徹底した思考法でした。

 もし、自分にある種の強さがあるとすれば、それは「捨てる」ことへの、ためらないのなさかもしれないと思っています。幼少期の原体験から東大、ライブドア時代と、久し振りに自身の半生をゼロから振り返った「原点」を新刊『捨て本』徳間書店)に記しました。

 逆境にあっても未来を見据えながら、今を全身全霊で生きる。そのために、捨てるべきものは何か。持っていなければいけないものは何か。ライフハック、お金、仕事から人間関係まで、「所有」という概念が溶けたこの時代に最適化して、幸せに生き抜くためのメソッドをつづっています。今回はビジネスにまつわる「捨てる」ことの意義を、3回に分けて紹介していきます。

 前編では東大を中退し、1996年にオン・ザ・エッヂを立ち上げるまでの話をしました。今回の中編では会社を運営する中で感じた「捨てる」ことの重要性をお届けしたいと思います。(※前編は昨日12月2日に掲載)

 会社が大きくなるにつれて開いた「溝」

 オン・ザ・エッヂを立ち上げたときのメンバーは、僕を含めて4人だ。そのなかには僕と同じ東大出身者もいた。大学で知り合ったわけではなく、バイト先で知り合ったので、ビジネスパートナーという認識だった。みんな年の離れていない、友人同士の関係からのスタートだった。

 創業直後から、インターネット関連の需要は多かった。時代はまさに、インターネットの黎明期。制作を受注できる専門的なスキルを持った会社の数は、限られていた。僕たちみたいな小さな会社にも、続々と仕事が舞いこんできた。創業からわずか1年4カ月で、オン・ザ・エッヂは株式会社に改組した。

 会社が大きくなっていくにつれて、創業メンバーとの溝が、開いていった。

 もともと仲良しの間柄で集まったわけではない。多少の意見のズレはあって当然なのだけど、「それは違うんじゃない?」と言い合う場面が増えてきた。社員が増え、扱う案件のスケールが大きくなり、社外からの人の出入りも激しくなって、それぞれ気持ちに余裕がなくなってきた。

 僕は銀座に家を借りていたのだけど、ほとんど帰れずオフィスに泊まる日々が、何カ月も続いていた。外食ばかりで、遊びにも行けない。若さも加わって、イライラが募り、社内で創業メンバーと口論になる……という悪循環に陥っていた。

 いろんなことがあって結局、創業メンバーはみんな会社を去った。創業直後に入社した社員の大量離脱という憂き目にも遭った。

 実体験から言うわけではないが、もし起業を望んでいるとしたら「別れたくない友だちとは、一緒に会社をやらない方がいいんじゃないの?」と伝えておこう。仲良しこよしの家族的チームでいたいと願っていても、メンバーが各々(おのおの)年齢を重ね、経験と知識を身につけていくうち、最初の仲間的な関係は、必ず変化する。必ず、だ。

 「社員はみんな家族だ」は違う

 そして、お金の問題が加わる。

 1万円、2万円ならいいけれど100万、1000万の単位になってくると、その人の本質的な価値観があらわれる。投資会議では、激しい口論になることもありえる。ぶつかり合っても気にしない、ビジネスライクな関係ならともかく、親友だとか幼なじみのような相手だったら、何倍も気まずくなるだろう。

 やがて相手は、会社から去る。すごく複雑な思いを残して。ときには禍根となることもあるだろう。

 もちろん、そのリスクを背負ってでも起業する選択はある。ただ、どんなに仲良しの仲間でも、ビジネスにおいては「いつか切り捨てる」対象になり得るのだ。よく中小企業では、創業社長が「社員はみんな家族だ」「助け合い、一丸となって頑張っていこう!」とスローガンを掲げている。

 それは違うよなぁ……と思う。気持ちが悪いとさえ思う。社員を束ねるマネジメントとして、そのスローガンが機能しているならば、別にいいだろう。しかし僕の実感には、まったく添わない。

 社員を一枚岩にして、会社に求心力を持たせ、擬似(ぎじ)家族風の組織を構築する--僕から言わせれば、最悪な経営術だ。IoT、グローバリズム、終身雇用崩壊など、多くの社会変革のなかで、最も耐用できない、弱い組織づくりの方法ではないか。もっとフレキシブルに、各々の意志を明確にした、いい意味での社員の「切り捨て」がさかんに行われるべきだ。

 ついてきたければ勝手についておいで

 僕は経営者時代、社員に対して、会社に忠誠心や結束力を求めることはなかった。また、同僚と友人になる必要はないとも思っていた。大事なのは、会社が働き手それぞれにとって、好きな仕事ができる場として機能しているかどうか。不満がないなら仕事を続けるし、そうでなくなったら辞める。シンプルでいいのだ。

 僕にはビジネスにおいて、共通の目的意識を持った同志のような存在は、いなかった。やりたいことを進めていくのに、利害関係と気持ちの方向性が合致していれば、とりあえず一緒にビジネスする関係は築ける。同志のような存在は、これからもいないだろう。つくろうとも思っていない。

 手がけている事業や今後やりたいことについて、人に話すことはあっても、“組織として”共有しようという発想がないからだ。オン・ザ・エッヂの仕事でも、社員たちと意識共有しようという努力は、一切しなかった。「ついてきたければ勝手についておいで」というスタンスだった。

 冷たいとか、ドライだと言われるかもしれない。でも、本当にやりたいことでもないのに、意識の共有に縛られて、人生の時間を拘束してしまうことの方が、僕には冷たいことのように思う。温情をかけているわけでもないが、「お前はいらない」というときは、きっちりと態度表明する。そして、去ってもらうのも仕方ない。

 人の性格や能力に合わせて、自分のやりたいことやプランを説明するのが、すごく嫌なのだ。昔風の表現をするなら、口でいちいち言わないでもわかる勘のいい人とだけ、一緒に働いていたい。

 「ついて来ていいけど、邪魔になって協力してくれないなら、どっかへ行って」というのが本音なのだ。そんな考え方の社長は、間違っているだろうか? ついていく社員の方としては、面白いときは一緒にいて、離れるときは簡単に離れやすい、ある意味で親切な経営者だと思うのだが……変だろうか? 世の経営者の大部分が、僕のスタイルを踏襲して会社経営するようになれば、サラリーマン社会も楽な方に変わるのに、と真剣に考えている。

 合わなくなったら、切り捨てる

 僕はビジネスにおいて、社員や同僚にヒントも出さないし、思惑や意図を読み取ってくれとも言わない。改善点を指摘して直るようだったら、しっかり言うが、直りそうもなければ適時、切り捨てる。

 これまでの部下のなかで、「こいつはすごい」と感嘆するほど、僕の思いを完璧に読み取り、意識共有を果たせたという人物はいなかった。みんなちょっとずつズレていて、その都度、切り捨てさせてもらった。

 というと、誤解を招くと思うのだが、僕は会社経営時代を含め、人をクビにしたことはほとんどない。「切り捨てる」というのは、同じラインで仕事をしなくなったり、呼ばなくなるだけだ。辞めていったり、僕から離れるのは、向こうの意志にすべて委ねてきた。人を切り捨てるというより、体よく僕の方が切り捨てられるように、社員の側に任せていたと言っても、いいかもしれない。僕の意識をみんなで持ち合わせて、共に頑張ろう! 

 そんなやり方はまったくしないで、オン・ザ・エッヂを経営していた。まったく問題はなかった。実際に、出て行った社員を上まわる新人が次々に入ってきた。会社も急成長していった。

 合わなくなったら、切り捨てる。

 そのやり方で会社が危機に陥っていたら、少しはあらためていたのかもしれない。でも順風満帆にうまくいっていたので、直す必要はなかった。(ITmedia)

堀江 貴文(ほりえ・たかふみ)
 1972年福岡県八女市生まれ。実業家。SNS media&consultingファウンダーおよびロケット開発事業を手掛けるインターステラテクノロジズのファウンダーも務める。元ライブドア代表取締役CEO。2006年証券取引法違反で東京地検特捜部に逮捕され、実刑判決を下され服役。13年釈放。現在は宇宙関連事業、作家活動のほか、人気アプリのプロデュースなどの活動を幅広く展開。19年5月4日にはインターステラテクノロジズ社のロケット「MOMO3号機」が民間では日本初となる宇宙空間到達に成功した。予防医療普及協会としても活動する。14年にはサロン「堀江貴文イノベーション大学校」をスタートした。本書『捨て本』(徳間書店)以外の著書に『健康の結論』(KADOKAWA)『ピロリ菌やばい』(ゴマブックス)など多数