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ブルーノート・レコード、創立80周年 日本のジャズファンが飛躍を後押し

 米ブルーノート・レコードが、創立80周年を迎えた。ジャズ専業でこれほど歴史を重ね、なお新作を出し続けているレコード会社は他にない。9月には、足跡をたどったドキュメンタリー映画が日本でも公開される。また、同社の発展には、日本が大きな役割を果たした。(石井健)

(下)昭和61年、富士山麓で開かれた「マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル・ウィズ・ブルーノート」。1985年に、米ニューヨークで開かれたブルーノート・レコード営業再開記念公演を日本に誘致した
(右)「日本はブルーノートに限らず、ジャズにとって重要な市場だ」と語るドン・ウォズ社長 =東京都渋谷区(石井健撮影)

 「80年の歴史がもつ責任の重さは、重々承知している」と語るのは、同社のドン・ウォズ社長(66)だ。ベース奏者から出発して、2012年、同社の社長に就任。80周年をアピールするために来日した。

 同社は、ドイツ系ユダヤ人のアルフレッド・ライオン(1908~87年)が1939年に米ニューヨークで設立した。“個人商店”に過ぎなかったが、その分、ライオンの信念が商品の隅々まで行き届き、その作品主義に共感したジョン・コルトレーンやマイルス・デイビスら、功成り名を遂げた演奏家たちも同社に作品を残した。

 「ライオンは、録音前に入念なリハーサルを求めた。また、新人発掘に意欲的だった。その結果、同社の商品は常に演奏の完成度が高く、かつ新鮮だった。このため飽きられることなく、80年もの歴史を重ねることができた」と説明するのは、音楽プロデューサーの行方均(なめかた・ひとし)(68)だ。

 行方は、日本のレコード会社で40年以上、ブルーノート作品を担当。同社の演奏家が一堂に会する野外フェスティバル「マウント・フジ・ジャズ・フェスティバル」を日本に誘致したり、同社に送り込む新人演奏家の発掘を目的とした新ブランド「サムシンエルス」を立ち上げたりした。今はフリーランスだが、ドキュメンタリー映画の字幕も行方が担当した。

 行方は、「日本ほど同社の作品を愛好する市場はない。同社の発展には、日本のジャズファンが大きく貢献した」と断言する。ウォズ社長も「日本の果たした役割の大きさは認識している」と認める。「米国で見過ごされた作品の再評価の糸口を見いだしたのは、常に日本だった。素晴らしいパートナーだ」

 ウォズ社長は80周年にあたり、例年より新作を多く発売したい意向だ。80歳のベテランサックス奏者、チャールス・ロイドから23歳のビブラフォンの新星、ジョエル・ロスまで幅広い演奏家の作品が控えている。

 ドキュメンタリー映画は「ブルーノート・レコード ジャズを超えて」(ソフィー・フーバー監督)。9月6日から東京・Bunkamura ル・シネマ、同27日から大阪・シネ・リーブル梅田などで全国順次公開。

 今年は、他にもピアノ奏者、ビル・エバンスやトランペット奏者、チェット・ベイカーが生誕90周年。それぞれドキュメンタリー映画が作られるなどした。

 ドラム奏者、アート・ブレイキーは生誕100周年で、生前ブレイキーと交流もあった日本のドラム奏者、小林陽一が記念アルバム「ナイアガラ・シャッフル」を発売した。