新型コロナウイルスの感染拡大を契機に、インターネット上で行われるセミナー「ウェビナー」などオンラインイベントが広がっている。主催する企業にとっては、参加登録フォームの設定や動画の配信、アンケートの作成といった多岐にわたるオペレーションが悩みの種だったが、イベント業務を大幅に効率化し、主催側と参加者をつなぐ「イベントプラットフォーム」と呼ばれるツールがある。開発したのはSaaS企業の「EventHub」(東京都中央区)だ。同社の山本理恵社長(33)にオンラインイベントの現状や展望を聞いた。
収録した映像を“疑似ライブ”配信
――イベントプラットフォームには、社名と同じ「EventHub」という名が付けられていますが、このツールでどういったことができるのでしょうか
山本代表:
イベントの登録やチケット販売、セッションの事前登録からアンケート配布まで、ビジネスイベント運営の効率化を図ることができます。加えて、イベント参加者情報をMA(マーケティングオートメーション)やSFA(セールスフォースオートメーション)に取り込むことで、イベント終了後に、マーケティング部門やインサイドセールス(内勤営業)と速やかに情報共有ができるような設計になっています。
もともとEventHubはオフラインのイベントに特化していました。コロナ禍でオンラインイベントの需要が増え、今後はオフラインとオンラインのイベントを組み合わせた「ハイブリッド」が主流になると思われます。アメリカではコロナ禍の前から「バーチャル・カンファレンス」が広まっていました。あまりに国土が広く、オフラインでイベント会場に行きづらかったためです。日本でもコロナ禍を契機にイベントがオンラインにシフトしたため、EventHubでもビデオ会議アプリのZoomや動画配信サービスのVimeoなどと連携させ、動画を配信できる機能を実装しました。新型コロナウイルスの流行前は、3、4年後にはオンラインへの対応も実現させたいと考えていましたが、コロナ禍でオンラインイベントの需要が急増したことを機に、オンラインイベントに対応した機能を急いで開発しました。
動画配信では、リアルタイムのライブ配信のほかに、「疑似ライブ配信」も可能です。事前に収録した映像を特定の公開時間にライブ映像のように配信するよう予約ができます。例えば、主催者が参加者に対して「何月何日の午後何時からイベントを配信します」と告知し、その時刻にEventHubのページ上で動画を配信しますが、このときに流れる動画は事前に収録しておきます。事前に収録しておけば、映像にテロップを入れるといった編集もできますし、ライブ配信にまつわるトラブルやリスクを避けることも可能です。
オンライン名刺交換から始まる交流
――疑似的といえば、オンラインイベントなのに、担当者と名刺交換できる機能もあるそうですね
山本代表:
Sansanの名刺交換アプリ「Sansan」または「Eight」と連携させた機能です。オフラインのイベントでは、会場で参加者と登壇者らが対面し、名刺を交換して互いの顔を覚えることもできました。しかし、オンラインでは名刺交換や交流の機会が少なくなります。動画を視聴するだけの体験だと、コミュニケーションが一方通行になりがちです。イベントを開催する企業が顧客と顔を合わせる機会がないというのが問題でした。
もともとEventHub上では、チャット交流の機能は持ち合わせていたのですが、よりオンラインの交流を活性化させるため、名刺を交換できる機能を昨年5月に実装しました。チャット機能を使って、一言あいさつしながら名刺の交換ができます。オフラインのイベントのメリットである交流の機会をオンラインでも設けたのです。
また、名刺情報を活用し、簡単にイベント登録ができる機能もリリースしました。通常、イベントの参加登録の際に、登録フォームに個人情報を入力しますが、登録する際、人によって会社名の表記が微妙に異なるという課題がありました。例えば、株式会社の表記を例に挙げると「(株)」か「株式会社」か、前株か後株か等の表記ゆれが発生します。オンライン名刺から正確なデータを直接取り込むことで、これらの表記ゆれ、名寄せの課題が解決できます。
会社名などがオンライン名刺から自動的に入力されますので、参加者がイベントに登録する際の負担が軽減されるというメリットもあります。
日本のビジネスの現場では、「名刺交換をさせていただけませんか」という言葉が、会話の一つのきっかけになっています。名刺交換をきっかけに会話が始まるという行動原理はオンライン上のイベントでも同じだと思っています。
なぜ企業はセミナーを開くのでしょうか。お客さんと営業担当者が実際に会場で名刺を交換をし、直接会話ができることが一つの大きな理由です。そうすれば、イベント後日のフォローもしやすくなり、受注にもつなげやすくなります。例えば、オンラインイベントを開催した後、単に企業側から参加者にメールを送信したとしても、それだけでは、参加者はなかなかメールを開いてくれないでしょう。だからこそ、オフラインでも、オンラインでも、「人対人」の接点を持ちたいという企業のニーズが強いのだと思います。オンラインであっても、顧客接点を高めるために必要な機能だと思い、オンライン名刺交換機能を実装しました。
16年ぶりの日本で気づいた不便さが起業の契機に
――山本さんは米国のブラウン大学を卒業された後、マッキンゼー・アンド・カンパニー サンフランシスコ支社に入社。認定NPO法人(認定特定非営利活動法人)への出向を経て、 EventHubを設立していますが、なぜイベントプラットフォームを開発しようと思ったのでしょうか。きっかけとなるエピソードがあれば教えてください
山本代表:
起業したいという思いは、もともと強くはありませんでした。私が社会人になったのは2011年です。マッキンゼーの支社のあった当時のサンフランシスコは、スタートアップの企業文化が盛り上がりつつありました。今の東京と同じですね。当時の同期もマッキンゼー卒業後、スタートアップ企業に転職をしたり、起業したりしました。起業をリスクとして捉えない空気が、当時のサンフランシスコにはありました。
9歳の頃から16年ほどアメリカに住んでいましたので、日本語は少々苦手な状態でした。いちアメリカ人としてキャリアを歩む中で、アメリカを出て海外で職務経験を積みたいという想いが募り、マッキンゼーから日本のNPOへの出向を希望し、東京に滞在していたという経緯があります。その後、東京に残りたいと思い結局マッキンゼーに戻るのを辞め、東京に残りました。焦って不慣れな土地で就職活動をするよりも、まずは業務委託ベースでいろんな企業に関わってみようと思いフリーランスになりました。その中で、自然と自分にあうカルチャーの会社を求めた結果、東京のスタートアップ界隈に行き着き、その後共同創業者との出会いを経て、起業という道を選びました。
共同創業者と事業の内容をブレストする中、当時の自分はサンフランシスコで使っていて便利なツールやソフトウェアで、かつまだ日本に存在しないものを主軸に考えていました。
アメリカでは、よくイベントアプリを使っていました。スマートフォンでかんたんに決済やアンケートの回答ができるアプリです。しかし日本の展示会では、紙のアンケートが配られていたんです。当時はまだイベントマーケティングの効率化というような発想もなく、紙媒体で集めたアンケートのデータ化にも時間がかかっていました。イベントの参加者情報を集計し、解析ができた頃には、すでにそのイベントの話題は参加者の中で冷めてしまっています。
NPOに在籍していた当時、そのNPOがある「転職フェア」に出展したのですが、求職者の方に6枚つづりのカーボン紙を渡していました。その書類に手書きで必要事項を記入していただくのですが、これにはカルチャーショックを受けました。メールアドレスも手書きでの記入ですから、なかなか読めない。記入された内容は外注して手入力でデータ化をする必要もありました。アメリカでは、イベントアプリで参加者情報をスキャンすることもできたのに、日本ではカーボン紙。今となってはイベントDXは当たり前かもしれませんが、当時はその違いにびっくりしたのを覚えています。
またそれだけに、DX(デジタルトランスフォーメーション)、ビジネス・オポチュニティー(機会)の余地が残っていると感じました。
そうして、2016 年に EventHubを設立しました。安直な考えですが、イベントDXの課題に対しては、アメリカで使っていたイベントアプリのようなものがソリューションとして適切なのではと思い、最初はスマホのアプリ版をリリースしました。しかし、これは失敗に終わりました。共感してくださった一部のイベントDXに関心高い企業は契約に至ったものの、会場でのアプリダウンロード率がなかなか伸びませんでした。そんな中、アップルストアの規約の一部が変更され、弊社の事業には逆風となり、アプリ版を断念することにしました。
失敗から学び、アプリ形式ではなく、同じ概念をウェブで応用することにしました。ウェブ版のEventHubをリリースしたのが2018年でした。当時はまだまだシード調達もせず、自己資金だけで事業を運営していましたが、UI/UX(ユーザーインターフェース・ユーザーエクスペリエンス)の改善を重視したこと、「交流」体験の改善に注力したことで、次第に多くの企業に導入いただけました。その後も先ほど話したオンライン機能の実装のようにプロダクトの改善を続けています。
人と人の「ハブ」になりたい
――日本のイベントマーケティングの現状や、今後の展望についてお聞かせください
山本代表:
オンラインイベントの全世界の市場規模は、2020年で10兆円程度といわれていますが、2027年には40兆円に達するとみられています。年平均23%の成長率です。日本国内の数字としては詳細に算出されていませんが、2020年でだいたい7000億円程度とみられています。世界と比較した単純計算で、日本国内でも2027年には2兆8000億円になるのではないかといわれています。
他のサービスとの連携では、顧客管理のCRM(カスターマー・リレーションシップ・マネジメント)が大きいと思っています。世界的にも有名なCRMツールである「セールスフォース」と連携できるよう開発しているところです。将来的には、採用イベントにおいてはATS(採用管理システム)と連携させ、求職者の管理といったことも視野に入れています。
海外展開も年内に開始する予定で、すでに市場調査を進めています。まずはアジアへの展開を考えています。アジアの人は訪問営業を重視する傾向にありましたが、新型コロナウイルスの感染拡大により、ウェブ商談が主流になりつつあります。
――海外企業との橋渡し。まさに社名の通り、「ハブ」の役割を担っていくということかと思いますが、日本のSaaSの現状をどのように見ていますか
山本代表:
日本のSaaSは海外でも十分通用すると思っています。それだけ今、日本のSaaS市場は盛り上がっています。クラウドに対する理解、SaaSに対する理解もマーケットに広まっています。起業した2016年と比べても、SaaS企業に積極的に投資するベンチャーキャピタルや、SaaSスタートアップに転職し挑戦したいという人材も増えているように感じます。
マッキンゼーサンフランシスコで一緒に仕事していた元同僚たちが現地でVCへ転職し、今、日本市場への投資に興味を持っているのです。それだけ、数年前と比べて海外投資家の日本市場への注目が増していると感じます。日本のクラウド、SaaS市場が大きくなるにつれ、海外の投資家による日本のSaaSへの投資も増えてくるのではないかと思っています。
ご質問にもあった「EventHub」という社名、プラットフォームの由来ですが、イベントは人と人との接点。人と人のハブになるという意味を込めてそう名付けました。人と人とのつながりを作って世界を近くする。国や業界の垣根を越え、いかにつなげるか。それを私たちのミッションにしています。