時代の人日本を面白くする企業

熊谷正寿氏

GMOインターネット株式会社 代表取締役会長 兼 社長 グループ代表
熊谷正寿氏インタビュー(後編)

 今や生活に欠くことのできないインフラとなったインターネット。しかし、1990年代初頭、インターネットは、限られた人たちしか使えないものだった。

インターネットが普及すれば、生活が変わる、より楽しくなる。

 「すべての人にインターネット」を標榜し、困難に立ち向かい、ネットの普及に尽力してきたGMOインターネット株式会社の創業者 熊谷正寿氏に聞く。

(2013年9月取材)

(前編はこちらから)


業績順調・・・。しかし、突然訪れた倒産の危機

-ネットインフラ事業で業績を伸ばし順風満帆。そんな最中、絶体絶命のピンチに陥りましたね。

 当社は、2005年に東証二部から東証一部へ昇格を果たしましたが、昇格審査の都合上、新分野への進出などの大きな事業展開ができませんでした。その間も、他社はネット事業を拡大し急成長している・・・。自分たちは、両手両足を縛られているかのように何もできませんでした。

 ついに、東証一部に昇格を果たして、今まで溜まっていた欲求を吐き出すように、兼ねてから構想していた金融事業に、一気にとりかかりました。イーバンク銀行(現、楽天銀行)に投資して法人筆頭株主になり、GMOインターネット証券(現、GMOクリック証券)をゼロから設立しました。しかし、イーバンク銀行は融資機能を持っていなかったので、消費者金融のオリエント信販を2005年8月、270億円で買収しました。

 しかし、2006年、金融事業を取り巻く想定外の外部環境の変化で危機に陥りました。最高裁がグレーゾーン金利を否定する判決を示し、過去10年分の過払い金返還のための巨額な引当金を積む必要が発生したんです。我々は、1年しか経営していないにもかかわらず、前経営者の過去9年分も含めた巨額な引当てを突然求められました。

 本業は順調に利益を出していましたが、巨額の引当金が原因でバランスシート上は債務超過寸前。既存のインターネット関連の事業は好調でしたので、債務超過になれば黒字倒産の可能性もありました。結局、2008年、合計400億円を投じたオリエント信販を当時の経営陣に500万円で売却し、撤退することを決断しました。


熊谷正寿氏

170億円の私財を投じて、会社を救う

-この件で、私財を投じ会社を救ったと伺いました。経営権を譲って、悠々自適に暮らす選択肢もあったと思いますが?

 はい、債務超過を防ぐために、自分の資産を売ったり、個人的に借金をして170億円を作り、会社に入れました。

 外資から「会社を買いたい」との話もありました。売り抜けてホノルルで休暇をとることもできたと思いますが、会社を売ることなどしませんでした。

 僕は、「時間を過ごす」とは言わない、「命をけずる」と表現しています。人はみな平均寿命プラスマイナス10歳ほどの人生を送っている。カウントダウンの人生の中で、命をけずって仕事をしているのです。この限られた寿命の中で、一緒に仕事をして、一緒に命をけずっている仲間がいる。人生を賭けている仲間が3千人もいる。3千人が命をけずって働いているのに、私1人逃げることなんてできません。逃げたらば私は裏切り者です。

 自分の信念を守り通したかったし、ローン・クレジット関連事業参入も、役員会で議論し承認したこととはいえ、最終意思を決定した、最高責任者の自分が責任をとることは当然のことです。

 本当に苦しかった。一度だけ、自殺をする夢を見ましたよ。朝、目覚めたら汗びっしょりで・・・。

 借金をして起業し、長い時間をかけて仲間たちとここまで作り上げ、それが水の泡と消え、また、マイナスになった。

 しかし、今、こうして、一番大切な組織、仲間たちと、お客様を無傷で残すことができた。それが何よりです。

-そして、絶体絶命の危機を乗り切り2010年には、最高益を達成しましたね。

 夢の力です。仲間と夢を共有し、その夢を信じて、こつこつやってきた結果だと思います。感謝しています。

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