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中国「ロゴ至上主義」の終焉 加速するラグジュアリーの新しい意味探し

安西洋之
安西洋之

 この夏、中国政府が富の再配分を言い始めた。貧富の著しい格差がその背景にある。それとともに芸能界のインフルエンサーの露出を制限するような動きもある。共産主義が理想とする社会の実現に向かっていると表現してよいのか、ぼくにはさっぱりわからないが、何かが変わりつつあるのは確かである。

 そのため欧州高級ブランドの株価に影響したとのニュースもある。

 この変化を知り、ラグジュアリーの新しい意味探しが加速し、旧来的なラグジュアリーの減速が前倒しになるのでは? と真っ先にぼくは思った。

 かつて、つまりは20世紀末から今世紀の初めにかけ、ハイブランドは他人に自慢する排他性の誇示が前面に出た。言ってみれば、これ見よがしの「ロゴ至上主義」みたいなものだ。

 それに対して「品がない」と散々な批判がある。

 現実としては「やはり、ハイブランドを他人に見せたい」との欲求はあり、それを肯定的に受け入れる地域とそうではない地域がある。または、社会の文化の違いもあるが、時代の変遷の結果でもある。

 例えば、前世紀後半、日本の人たちはロゴが見えていることを重視した。しかしながら、今世紀にはいり「ロゴを見せるなんて格好悪い」という勢力が増えてきた。実は、欧州ではもっと早いタイミングでこの傾向が出現していた。

 しかも、排他性よりも社会的な包摂性にウエイトがおかれる時代になった。エリートであることを自ら可視化するのは損であるとの認識が広まっている。

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