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マスメディア不要論に思う プロの声に耳を傾ける意味

安西洋之
安西洋之

 権力に近いところにいる人が多くの情報を持ち、そこにいない人は世の中で起きていることを分かりえない。したがって多くの人は自ら状況判断をする術がなく、特定の層にいる人たちの結論や見方に従わざるをえない…という時代が長くあった。しかし、このようなヒエラルキー構造が崩れつつあると言われる。または、ある分野においては、崩れつつあるのではなく、既に崩れ去ったとさえ表現される。

 一部の人が独占的に情報をもつことが少なくなった理由は、言うまでもなく、インターネットの普及による。これによりマスメディアが伝える情報が相対化されることになってきた。以前であれば受け手が信じるしかなかった情報が、「信ずるに値するか?」と問われる回数が増えてきた。そしてソーシャルメディアに行きかう情報で検証をする習慣ができてきた。

 マスメディア不要論はこのような推移で登場してきている。この議論が出てくるたびに、ぼくは「じゃあ、戦争報道はどうなるのだろう?」と思ってきた。世界のどこかの国で理不尽な争いを繰り広げ、そこで死に至る人々がいる。もちろん、火に油を注いでしまう場合もあるが、不幸な状況をストップさせるに、プロの手による報道記事が果たす役割は大きい。

 ワシントン、モスクワ、北京といった国際政治の主要舞台の裏側もそうだ。国内政治にしても永田町で本当に何が話し合われているか、ほとんどの人にとって蚊帳の外である。仮に単発的エピソードをたまたまリアルに知る機会があったとしても、素人はどういう文脈で理解すればよいかを不案内である。

 長くそこにいて、そこの空気と匂いを熟知する第三者の状況判断をやはり知りたい。頼りたい。

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