欧州人が友人から夕食に突然誘われたとしよう。欧州人の断りなら「NO」と言い、必要によって「なぜなら」との説明が続く。だが、日本では「ちょっと…」でも通用することが多い。「今日はちょっと…」と夕食の誘いを断れるのだ。日本でそれ以上の説明を要求するのは攻撃的であるとさえみなされる。このようにフェデリカは文化の違いを理解した。
「着物を丸一日着る経験があり、初めて日本の女性の歩幅が狭い理由が分かった気がしたのですね。大股で歩くと着崩れしてしまい、だから小幅で歩くのが習慣になったのではないでしょうか」と語る。
ただ、そうした小さな個人的経験ですべてを語れるわけでもないことも十分に承知している。
博士号授与の証書を学長から受け取るにあたり、彼女は「見知らぬお辞儀の仕方」をそのリハーサルで学んだ。5年以上の日本滞在で、フェデリカはお辞儀についてはすっかりマスターしたと思っていた。公式な場で相手の地位が上であればあるほど上半身を深い角度で傾けるべき、と。しかし、証書を受け取るべく両手を前に出すにあたり、深すぎるお辞儀は相応しくない。だからコンテクストを数多く知るのが大切だとここでも気づくことになる。
現在、ラグジュアリー研究をするうえで、この深い異文化理解が活きている。ラグジュアリーの認知は文化圏によって異なるからだ。また「私だけ」のユニークな経験はラグジュアリーにおいては大切な要素だ。当然、コンテクストと無縁ではない。
親は子どもを育てるにあたり何を提供すべきか考えることは多い。親自身が好きなことを子どもにふんだんに経験させるに尽きるのでは? とフェデリカの話を聞いてぼくは感じたのだった。我が身の反省でもある。
【ミラノの創作系男子たち】はイタリア在住歴の長い安西洋之さんが、ミラノを拠点に活躍する世界各国のクリエイターの働き方や人生観を紹介する連載コラムです。更新は原則第2水曜日。アーカイブはこちらから。安西さんはSankeiBizで別のコラム【ローカリゼーションマップ】も連載中です。