土産モノの何が問題か?
地元の人たちが日常生活で使うものや食べるものとは違うものが開発され、それらが商品として販売されることだ。それも地元の人が愛する特有のモノの質を高めて値段が高く、それがために「こんなもの、地元の人は買わないよ」という商品ではない。
観光客しか手を出さない「土産ジャンル」とも称するところに企画が簡単に行き着いてしまう。その安易さがまだまだ蔓延しているらしい。
したがって、過去のエピソードに気安く救いを求めることなく今の時代を生きるのが大切だと強調しがたいために、「歴史や文化に肩入れするな」との表現に走ってしまうのだ。
本心のところで歴史や文化が大切だと思っているのに、あえてそこから距離をとろうとする。「歴史があるから」「文化があるから」という言葉が否定しがたい絶対的価値として提示されがちだから、それに苛立つのだろう。
結局のところ、歴史や文化が今の日常生活と「地続き」であるとの経験が少ないことに、この不満は由来するのかもしれない。仮に地続きの象徴的存在が土産モノならば、逆に歴史や文化が魅力ある題材に見えないのだ。
それぞれのローカルにある長い年数に及ぶ人々の試行錯誤の数々は、それぞれにユニークである。誰もつまらない人がいないのと同じように、どのローカルにも耳を傾けるに値する経験の集積がある。
ただ、どうも「私たちはユニークである」との説明を掘り下げることもなく、そのレベルで土産のロゴやパッケージができてしまうのだ。