三菱自動車のかつての主力車種「パジェロ」生産終了のニュースは衝撃的でした。
今や世の中はSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)全盛、街を走ればファミリーカーの標準型が、かつてのセダンタイプから置き変わったかのような状況です。集合住宅の駐車場もハイルーフから埋まるのが当たり前とのこと。そんな時代だからこそ、まさにそのSUV黎明期に最も輝き市場勃興のパイオニアと言って良いブランドの完全撤退、生産終了にショックを受けずにはおれません。
最も売れたのが1991年に登場した2代目パジェロ。初代(1982年発売)後期での人気を引き継ぎながらも各部格段にブラッシュアップされ、車体全体は武骨なのにツートンカラーの塗装の質感やボディパネルのふくよかでありながら精巧そうな品質の良さが印象的でした。ヘビーデューティーなのにホテルに乗り付けても違和感のない高級感は、奇しくもバブル崩壊の頃に上市されましたが、企画時期の高揚感による副産物だったかもしれません。
当時のRV(レクリエーショナル・ビークル)ブームけん引役となり現在のSUV時代の先鞭をつけます。パリダカールラリー参戦などプロモーションもパジェロのコンセプトにピッタリでした。とにかく、並みいる有力車種を抜き去り月間販売台数1位の快挙を成し遂げ、カーオブザイヤー特別賞(1991年)に輝いたのですからその成功は歴史的と言って過言でないはずです。
ルーチン化したモデルチェンジがプロダクトの魅力を壊す
でもそんなビッグブランドが、SUVブランド全盛の時代低迷し続け、ついには市場から完全撤退、生産終了というのですから、穏やかではありません。なぜパジェロは急速に輝きを失ってしまったのでしょうか。
もちろん原因は単純でないはずですし、メーカーである三菱自動車による度重なる不正の影響も少なからずあると思われますが、ここではブランディング、マーケティングの視点から一点、ルーチン化した「モデルチェンジ」がブランドの魅力を壊してしまったのではないかという仮説を考えてみたいと思います。
パジェロは3代目(1999年)、4代目(2006年)とモデルチェンジを繰り返すたびにむしろ存在感を失っていった印象があります。しかもフルモデルチェンジの間には何度となくマイナーチェンジが繰り返されます。このモデルチェンジのためのモデルチェンジ、日本メーカー定番の仕事の進め方とさえ言えるかもしれません。例えば家電業界でも毎年画期的に進化したわけでもないのに新発売として各社が無理やり新製品を繰り出すことが、結果として製品のマンネリ化を招いたのではないかとの指摘があります。
もちろん、自動車のように大きなプロダクトともなれば、社員、販売会社、サプライヤーなど関わる会社、人間は驚くほどたくさんいます。本当にモデルチェンジを計画するとなれば、少なくとも数年前から綿密詳細な行程表を作り段取っていかなければまったく対応できないのが現実ではあります。ただし、この走りだしたら容易に止めることができないプロセス自体がモンスターのように関係者を圧迫していくのもまた事実ではないでしょうか。